Saturday, December 25, 2010

死んでもつきまとえ

  『往生要集』の作者として歴史的にも名高い恵心僧都こと

比叡山の源信は二十五三昧会という念仏結社を結成し

メンバーの中から病人が出ると「往生院」という部屋に移し

昼夜を分かたず看病した。

看病するものには、死に行く病人に対し意識に
どのようなイメージが表れるかを聞き出す義務があり、
源信自身を含むメンバーの臨終の様子が記録に残されている。
その中には今日の臨死体験にも見られる
好ましいビジョンもある一方
「地獄の業火みたいなものが身に迫ってきて苦しい」
と言う人の記録もある。
(『生、死、神秘体験』立花隆対話編)

このようにまだ肉体が生きているうちから
地獄が始まるものさえいる。
プライバシーの窃盗、つきまとい、嫌がらせから
心の破壊、人殺し(自殺強要)まで行い
おまけに、そんなことはやってないとか、
「被害告発は妄想」などと嘘まで吐き、
地獄に墜ちるリスクが極大になる
悪行三昧の集団ストーカーにとって
地獄とはまさしく「明日は我が身」の問題である。

  ならば年配ストーカー犯罪者は
 自分が死に際に見る地獄を後輩の犯罪者に
 伝えてやるのが善行為というものだ。
そして、まだ若い集団ストーカー犯罪者は、
先に死んでいく犯罪者の臨終をも
ストーキングし、どんな地獄を見ているのか、
さらには生体反応がなくなった後まで
先輩犯罪者の死後意識を追跡してこそ
変態ストーカーとしての覗き根性が
如何なく発揮できるのではないか?

 人の肉体が死んだらつきまといを諦めるなんて
中途半端で根性がない。