Thursday, March 9, 2017

幕末の集団ストーカーの死

9 芹沢鴨・剣と凶行の足跡

 ある時[新選組の]芹沢は、天狗党の所行を諫めようと目論んでいた常陸国川合村の農民を一夜、裸体にして縛った後、首を刎ねたという。

 万延二年(一八六一)に[は] 下総佐原村で・・同志六名と村に入り、翌日、村役人を宿舎に呼び出して、一千両の活動資金を用意するよう求めた。
[満足する回答を待ちきれない浪士たちは]香取神宮へ参詣に出向き、社人らに暴行・・名主宅に押し寄せて家屋を破壊、通行人の頭を見境なく鉄扇で叩き付け、犬を切り殺し、通りがかった魚屋の天秤棒を取り上げ、容赦なく叩き付けたと『常野集』は伝える。


当時を知る故老は回想する。

・・佐原の町の内は往来がきれてしまって、人っこ一人通らない。・・実に暗黒世界で、地頭からは政府へ願っても今に行く、今に行くというて、一向にはかどらない。いわゆる無政府の有様であった。(一九〇七「五十年前の佐原」朝野泰蔵)
・・浪人ども短筒様の物[註:ピストル]を銘々所持候様子にあい見え、なかなかもって乱暴取り鎮め難く・・・(『常野集』)
・・芹沢という人は、まったく怖い人だったそうで、人間を斬ることなど、まるでこちとらが、芋か大根でもきる程にも思わなかった・・。(一九三〇『史外史譚剣豪秘話』)

 (芹沢は)酒を飲めば、刀を抜いて、女を追い廻す癖があって、ある日、あんまりうるさいので、酔いつぶれて寝転ぶうちに、舞妓どもが大勢して、打ち紐で大小をガンジガラメに縛り、抜けないようにして、
「こうしといたら怖いことおヘン」
と転ばしたりして居るうちに、芹沢は酔いが醒めぬまま、その刀を提げて帰る途中、同志の誰かに[粛清のため]殺されたと、聞いて角屋は赤飯炊いて大喜び、さっそく角屋から、(大阪新町の)吉田屋へ、早飛脚が立ったということを聞いて居ました。(一九三三「新町情話」)


23 新選組に斬られた人びと  公務よりも死闘を

(記録上に確認できる二十一件の殺害事件のうち)公務と判断できる事件での死亡案件は半数にも満たない。
その一方で、私怨や私闘に類する殺害者は半数以上もあった。・・・部外者への暗殺行為は決して多くない。
新選組が刃を向けたのは、何よりも内部に対してだった。(p.159)


12 斎藤一かく語りき

斎藤一の述懐を紹介したい。
・・よく昔から人を斬った者は、その亡霊に悩まされて、夜もろくろく睡眠がとれぬとか、悪運強く畳の上で往生したにしても、死に際がわるいというが、余にはそのようなことはない。
おそらく死ぬときもそうと思う。何故って余は世間でいうように、仮に多くの人を斬ったにしても、戦争で敵を敗ったも同然、私の怨恨でカスリ疵一つ、他に負わした覚えはない。これだけは威張って、大きな声で言っておいてもよいと信じている。(p.79)


伊東成郎『新選組と刀』

  今から2千6百年前、インドのある将軍が釈尊に訊ねて曰く「自分は国のために命をかけて戦ってきたのだから死後は、きっと天界へ行けると思うがいかがか」。
釈尊は「私に言わせるな」と口を閉ざされたが、再三問われ、ようやく答えて曰く「汝は特別な地獄へ赴くだろう」。
人殺しに加わったのだから死後の責苦は免れないのだろうが、「特別な」地獄というのは、ただの地獄とどう違うのだろうか。
 軍人同士の戦いは敵もまた武器を持って自分を殺しに来るのであり、お互い正々堂々、対等な戦いである。
何よりも軍人は同胞を守るため勇敢にも自らの命をなげうつ覚悟なのだから、死後に赴くのは、まさしく阿修羅のような神々と紙一重の修羅道のようなところなのであろう。また日頃行いの正しい人が敵を殺すことなく、やられたならばそれほど悪くはないところに時を経ず生まれかわることもできるだろう。世界中の人々が目を見張った戦後日本人社会の奇跡的な復興と目覚ましい発展は、この生まれ変わりの人たちが支えてきたのかもしれない。


 一方、釈尊は「手向かうことなく罪咎のない人に害を加えるならば・・身やぶれてのち地獄に生まれる(『ダンマパッダ』)」と無抵抗な相手を一方的に害する場合は「ただの地獄」に堕ちるとも教示されている。
 つまり自己犠牲を厭わず修羅の如く死地に赴く武士や軍人とは正反対に、己の性欲、金欲、権力欲のため罪なき人を、たとえ同胞でも殺す犯罪者、あるいは己さえよければ同胞がいくら殺されようがどうでもいいと、被害者を見殺しにすることで犯罪者に媚び諂う卑怯者の死後は、やはりただの悲惨な地獄というわけだ。
 上掲の斎藤一は自分がそのような卑怯者ではなく、稀有な例外だったことを殊更に強調しているが、これは新選組の多くは「ただの地獄」に堕ちる、ただの反社会性人格障害者だったことを逆説的に物語っている。


 さて21世紀の現代、日本国内で無抵抗の罪なき人々に対し陰に陽に横暴を極め、一人を相手に大勢で協力して拷問し自殺させたり、人為的な災害、事故、病気などで殺す卑怯者といえば、言うまでもなく集団ストーカーどもであるが、中でも最も臆病で卑劣な集団の代名詞といえば、俗に広域指定暴力団「桜田組」と揶揄されている警察犯罪者の集団だろう。もっとも正統な暴力団構成員なら堅気には手を出さないし己の為した行為について「そんなことはしていない」などと嘘を吐いて否定するような卑怯な真似はしないだろうから、警察犯罪者を暴力団に譬えるのは、暴力団の方々に失礼ではある。しかし暴力団について世間一般の持つ悪辣なイメージは実は警察犯罪者がやっていることだったのだというわけで、ご勘弁願いたい。
 参考までに警察犯罪者らが標的にしているのはどういう対象が多いか見てみよう。
 貴方をアパートの一室に連れて行った、その担当者が、最初に貴方を強姦した犯人です。
貴方を強姦しておいて、さらにその捜査を自分で担当しているのです。公安が催眠強姦をする目的は 、貴方を利用する為です。就寝中の強姦被害から、公安の協力者になり活動に参加するようになった女性は、大勢の男と肉体関係を結ばされた後、口封じの為、殺されてしまった人が少なくありません。
貴方に普通の常識と思考力があれば、やがて「強姦犯人は、この警察官たちだ」という事に気付きます。 
その時が危険です。さらに、協力者として公安の活動に参加した場合、公安の色々な秘密を知る事になります。行く度に絶対に口外しない約束をさせられますが、その場合、貴方は秘密を漏らさないか、常に公安に監視されます。『●ストーカーの正体は警視庁公安部● 』http://cointelpromkultra.blog.fc2.com/blog-entry-52.html) 
 殺されたのはすべて女性、これまでに少なくとも22人が殺害された。『っ警視庁公安部上尾分室』http://uni.2ch.net/test/read.cgi/police/1287338396/

・・・アウトローたちは「自分たちのしていることは悪い」と自覚している。だが最近の警察はやくざもびっくりするようなことをしていながら「正義」をふりかざしている。

盗聴や監視は庶民に対して行なわれるだけではない。シャブをやっているチンピラの逮捕よりも警察官僚が大事にしているのは、「身内の情報」である。

  敵対派閥の動向を知るためには、盗聴が手っ取り早い。
一九九九年の盗聴法の成立にはそうした背景もあった。
(p.93) 『警察官の犯罪白書』 宮崎学


[在職中に、組織の不正を改善するよう何度も具申してきた]私は3回もあらぬ疑いで「特別視察対象者」に指定されました。これになると、3ヶ月にわたり、監察から尾行や張り込みなどの監視を受けます。精神的に耐えられず、辞職したり、自殺したりする警察官もいます。
 かくいう私も、2回目に「特別視察対象者」に指定されたとき、監察から長時間の取調べを受け、血尿が出て、精神的にも体力的にも限界となりました。妻と心中しようとしましたが、彼女が「悪い警察の思うツボ」と言うので、思いとどまったんです。(p.p.86-87)
飛松五男『なぜ警察官の犯罪がなくならないのか』


 新選組と桜田組。歴史は繰り返すというが、どちらもにしても、まもなく滅びゆく権力者にすがりつき、私利私欲で人殺しをやるただの犯罪者がほとんど。
畢竟「死に際が悪そうな」点はなんともおどろくほどに酷似している。もしや、すでに殺された犠牲者の亡霊に夜な夜なうなされている警察犯罪者も実は多いのではなかろうか。