Thursday, November 10, 2016

東日本の21世紀の玉都(たまいち)たちへ


若侍に化けた大蛇:見事な音色だ。 もうこの琵琶が聞けぬとは残念でならぬ。・・・人間大蛇だ。
盲目の僧・玉都(たまいち)坊:大蛇—!!
大蛇: なにせ身が大きくなり すぐこの沼ももう せまくなってしまった。 もはや大蛇からリュウに化身する。 わしら夫婦が住むために 明日から七日七晩大雨を降らしこの小高郷一帯を大沼にする。
玉都坊: 小高郷を沼に!?
大蛇: よいか人に言うではないぞ・・・人に言えば おまえの命はないぞ!!・・・そうだ・・・大沼になり 自分が住むようになったら お前の目を直し 小高郷の殿様にしてやろう。 さらばじゃ!!
玉都坊: がんをかけにきて 大蛇との出会いも 薬師様のご利益にちがいない。 ははははは
女人に権現した観音菩薩: これ お坊・・・私は今の若侍との話を一部始終聞かせてもらいました。 そなたは目が見えるようになれば確かにうれしゅうござろう、しかし小高郷に住む者たちはどうなろうか。もしあなたに人を思う気持ちがあるのなら、あの悪い大蛇を退治するのです
玉都坊:目が治り殿様になれる・・・しかし私は仏に仕える身だ!! よし、私がぎせいになり人々を助けよう。
観音菩薩:それでこそ立派なお坊じゃよ。
     ***
玉都坊:急いでお城の殿様に訴えなければ。・・・良かったこれで皆助かる。こんな気持ちの良いことをしたのは生まれて初めてだ。
大蛇:玉都 約束通り命をもらうぞ!!
堀内城の侍たち:お坊が橋にたたきつけられたぞ。もうだめだ!!
     ***
光胤:玉都というお坊のおかげで小高郷を守ることができた。
小高郷民:これもみんな玉都さんが命を捨てて秘密を教えてくれたからだ。
子供たち: 玉都さん、私たちの喜んでいる顔が見えますか? 玉都さんが命をかけて助けてくれた この美しい小高の里を 大切に大切に守っていきます。 ありがとう玉都さん。
日本三大石仏のひとつ 国指定史跡「小高の薬師堂石仏」picture borrowed from: www.minami-soma.com/kanko/modules/d3blog/details.php?bid=440


【大蛇物語のできた時代背景】

 建武年間、王朝方は、足利の拠点である相馬氏を滅ぼす手段として、[小高の]堀内城の水攻めを考えた。・・要塞堅固な城であったが、増水に弱い。この弱点を、旧城主玉都坊の献策によって知った王朝方は、[小高]郷民の難渋を考えたが、窮余の手段として涙を呑み、日時を定め、上流の総ての堤を一斉に決壊して洪水を起こし、堀内城を水浸しにして壊滅しようと謀議した。・・・そして相馬氏が滅亡した暁には、玉都坊が以前の如く領主に返り咲くことが約束されていた。
 だが主役の玉都坊は決行の日が近づくにつれ、悶々として心休まらない。・・・自分を旧領主として慕う多くの領民が、堀内城水没の犠牲となって溺死する。たとえ命は助かったとしても、住む家は流され、耕す田畑は泥土と化し、それに破られた堤には水がない。作付の出来ない百姓らはどうして暮らすのだろうかと思い悩むのだった。
 決行当夜大悲山薬師堂に参篭し、一心にお経を唱えると、いつか無我の境地に落ちて心の葛藤が静まり、人間として、自分の進むべき道を悟り、小高郷民のため身を捨てる覚悟をしたのだった。小高郷民を害から守ろうと決心した玉都坊は、堤襲撃隊士らの隙を見て薬師堂を脱出し、一目散に光胤公のいる堀内城へと走った。一方襲撃隊士らは・・密告を終え、堀内城から出てくる玉都坊を見つけ、これを待ち伏せ、橋の上で惨殺した。また玉都坊の注進によって一大事を知った光胤公は、急遽武装した兵士を招集し、自ら大将となって薬師堂を急襲した。

*福島県南相馬市小高区の地名の由来
琵琶橋:玉都坊の琵琶が落ちた橋
角部内(つのべうち):刀で切られ退治された大蛇の角が落ちた地
耳谷(みみがい):大蛇の耳が落ちた地
女場(おなば):大蛇の歯が落ちた地

 当時同地には王朝方で活躍する相馬胤平公が住したという説もあるので、勝利した光胤公は、続いて耳谷、女場、角部内館も攻略したことであろう。そう云えば、角部内の北に位置する村上城には、後で後村上天皇になられる義良親王が、一時玉坐を構えていたとの伝説もある。

小高町編纂『大悲山大蛇物語』

http://is2.sss.fukushima-u.ac.jp/fks-db//txt/10080.005/index.html


そして21世紀の東日本では・・・・

私は、前金融大臣、竹中平蔵と対談した際、「なぜ日本人は経済システムの管轄権を、アメリカ人の集団や欧州の独裁グループに手渡し、彼らにすっかり支配されてしまっているのか」と尋ねた。竹中は「地震兵器で脅されているからだ」と答えた。(ベンジャミン・フルフォード)


 Ex Japanese Finance Minister confirms USA have threatened with Earthquake weapon         

 なおフルフォード氏は、竹中が見返りに500億円の賄賂を受け取っていたことを明らかにした。そして東日本大震災発生の「直前」に、竹中の親族が土木建築関連企業の株を大量に購入していたことも公になっている。これらの株は、多くの家屋が破壊された震災後に急騰している。


Chinese Mafia destroy Illuminati Interview with D Rockefeller Benjamin Fulford  

 竹中へのインタビューのまさに翌日、フルフォード氏はある男からコンタクトを求められたという。会うと、その男はプロの暗殺者であると言い、フリーメイソンのバッジを手渡してフルフォード氏に告げた。「あなたはこのまま陰謀者の正体を暴露し続け46歳で死ぬか、それともフリーメイソンの仲間に入って日本の金融担当の要職に就くこともできる。」

Sunday, September 11, 2016

<森の集団ストーカーの死>


アジャンタ石窟壁画「水牛本生」

Picture borrowed from: 4travel.jp/travelogue/10054757

 1匹の猿が木からおりて、水牛の背中に乗った。そしてその上で大小便をしたり、角をつかんでぶらさがり、しっぽをつかんで動かしたりして遊んだりした。水牛は、忍耐の心と慈しみの心と憐みの心を具えていたので猿の狼藉を気にかけなかった。
 ・・・ある日、樹神が木の幹に立って、
「水牛王よ、あなたはどうしてこの悪い猿の侮辱をがまんするのですか・・・やめさせなさい。」
 これを聞いて水牛は、
「もしも私があの猿の罪過を耐え忍ばないとすれば、どうして私の願いが成就するでしょう。あの猿は他の水牛をも私と同じように考えて同じように狼藉をするでしょう。それから・・彼らは猿を殺すでしょう。それは他の水牛による猿の死です。そうなれば私にとっては猿から受ける苦しみもなくなるでしょうし、また殺生する必要もなくなるでしょう。」
 数日後に忍耐のある水牛は別の場所に行った。別の水牛が木の根元に立っていた。すると猿は同じ水牛だと考えて狼藉をした。その水牛は、猿を地面に落とし角で心臓をつきさして、足で踏み付けて粉々にしてしまった。
 忍耐、慈しみ、憐みの心を持っている水牛が前世の釈迦であった。(p.p.69-71)

田辺和子『仏教物語ジャータカを読む㊦』



アジャンタ石窟壁画「水牛本生」A.D. 5c頃

Picture borrowed from:ignca.nic.in/jatak007.htm


 これはまさに<森の集団ストーカーの死>。どこの国にも、どこの職場や学校にも、こういう「愚かな猿」は必ずいる。きっと100年前の世界にも、このアジャンタ石窟壁画が描かれた1500年前にも、そして釈尊が説法された2600年前にも、どこの国の、どの人の日常にも、こういう「愚かな猿」が必ずいたことだろう。だからこそ21世紀の現代まで、こうして『ジャータカ』の教えが継承されてきたわけだ。「優れた古典は作品が出来た瞬間からすでに古典である」と言った人がいるが、仏智の深遠さ普遍性の高さに改めて気づかされる。
遠い輪廻の記憶を辿ってみれば、この教訓に強いデジャヴュのような郷愁を感じる集団ストーカー犯罪者の諸君も多いのではないだろうか。なぜなら、どんなに立派な肩書や所有物で外見を取り繕っても、集団ストーカーをやる者は人間の祖先がまだ木の上で生活していた頃から、心の進歩が全くなく、何千萬年も時間が止まっているようなものなのだから。「意馬心猿(monkey mind)」とは実に的確に、その状態を表している。
 このお話を聞いて、その昔、しっぽがはえていた尾骶骨のあたりが、むずむずしてはいないか?

 あなた、集団ストーカーやめますか?
 それとも・・・人間やめますか?


Monday, September 5, 2016

『死ぬときに後悔すること25』

 カール・ベッカー氏は著書で、世界で一番死を恐れているのが現代日本人なのではないかと示唆している。無論、戦前はそのようなことはなかった、けれども今は一番恐れているというのである。そしてその理由として、来世に対する信仰が薄くなったことと不可分ではないだろうと指摘している。

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 余談だが、面白いことに死期が迫って宗教に帰依しようとする人々の中に、医者が少なくないのである。医者は(もちろん個人差はあるが)、なかなかに業が深い仕事である。どの世界でもそうだが、偉くなるような人々は、ぱっと見「政治家」のような清濁併せ飲むというか、むしろ濁流のただ中に泳ぎ続けているような雰囲気の人も少なくない。偉いお医者さんも、極めて人間くさく、人間の持つ様々な業を体にまとっている雰囲気がある。そして一見、宗教心からほど遠いような印象がある。
そのような生臭い(失礼!)方たちが、キリスト教などの洗礼を受けることがよくある。地位がある人や、逆に犯罪を犯した人も、洗礼率が高いようだ。きっと彼らにとっては切実なのだろう。

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 正直、死を前にすれば貴賤や地位の高低等全く関係ない。それまで社会的に大成功をおさめていた立派な社長が泣き叫んだりする。逆に、普通人極まりない(ように見える)人がまったく死に臨んで動じなかったりする。

 案外、得るものが多かった人間は、失うものも多く、だから最期に何かにすがりたくなるのかもしれない。

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 とはいえ、終末期になって焦って宗教を求めても、天国や来世を得ることはできても、心の修業は成るかというと微妙かもしれない。やはり健康なうちから、もっと死生観のみならず宗教についても知り、学び、考えておくのが望ましいのではないか。


大津秀一(医師)『死ぬときに後悔すること25』
(p.p.198 - 204)

Saturday, July 9, 2016

真の自覚から生まれた死でなければ意味がない

「日本は勝てない。いや、負けたほうがいいんだ」
これは、いままでの私が受けた教育を、すべて否定するものである。いまの私という存在をすら、否定することばである。こんなことばに、はじめて私は出会ったのだ。
 うろたえて、あるいは強い反発を感じて、私は彼の顔をまざまざと見直した。
 が、そういってから、ニコニコして私を見つめている彼は、いつものとおりの温和なM少尉にもどっている。
「不満そうだが、それじゃ君は、勝てるとでも思っているのかい」
 いわれて私は返答に困ってしまった・・・。
「勝てるとは思えないとしても、負けたほうがいいとは、いったいどういうことなんですか」
下手なことをいったら、たとえ上官でも許さんぞという気持ちが強く胸にあふれていた・・・。
「死というものに、自分なりに意義を見出さなければ納得できないんだ。魚雷に乗って、“天皇陛下万歳”と叫んで単純に突っ込めば、特攻隊としての任務は果たされる。もちろんそれでもいい。しかし、俺はね、それだけじゃいやなんだよ。それだけで満足できるかい?」
「できます。よしんばできなくたって、ほかにしかたがないではないですか」
「そこだよ、俺のいいたいのは。・・・君が小さいときから受けてきた教育というものが、いかにでたらめだったか、考えたこともないだろう。だが、事実なんだよ。君が誇りをもって死ねるということは、君が他のことを考えないように教育されてきたからだ」
「・・・・」
「国を憂えるのはよい。しかし、真の自覚から生まれた果敢な突撃でなければ、意味がないじゃあないか。外部からウソをたたき込まれ、考えもなくそれに共鳴して、ひとつしかない大事な命を捨てるなんて、愚の骨頂だよ」
「それじゃあ、M少尉はどんな信念をお持ちなんですか」
「・・・いちばん考えたのは、自分が死ぬということだよ。・・・俺はな、こう考えたんだ。つまり、俺は天皇のために死ぬんじゃない。俺だけは違う。俺は新生日本の礎石となる。そのさきがけになるために死ぬんだ、とな。そう考えて、やっと俺は悩みを解決したんだ・・・。」私はそのときのM少尉の目の輝きを忘れることができない。出撃を前にして、あの時代にこれだけのことを考えた男が、果たして何人いただろうか。


横田寛『あゝ回天特攻隊』

Saturday, July 2, 2016

実録 被害者の怨念 その3

「時々、悪い夢でも見るのか、『オカン』がひどくうなされることがあって・・・」

[尼崎連続殺人鬼・角田美代子と]同じ房に収容され、打ち解けた関係になった女性が、そんな打ち明け話をする。

「そりゃ、あれだけ大勢の人間を死なせたんやから、直接手を下さんでも普通の人間なら悪夢にうなされて寝れんわ。」(ベテラン捜査員)

一橋文哉 『モンスター』

Sunday, April 10, 2016

死ぬ瞬間: 元の業の何万倍もの迫力でありありと体験

 ベートーヴェンは耳が聞こえないので、直接には聞こえないから、何か道具を使って、そこから伝わってくる波動で 、「ああ、こういう音だろう」と感じなくてはいけません。・・・でも本当に音楽を聴くと、すごくインパクトが強く聞こえるでしょう。例えば・・・ホールに行って、演奏しているその音楽そのものを直接聴くと、迫力が違うのです。[耳、神経、脳を通して間接的に感受している]普通の人間の状態というのは、耳が聞こえていた頃のベートーヴェンではなく、耳が聞こえなくなったベートーヴェンの状態なのです。でも、誰でも死ぬ瞬間は、身体は壊れてしまい、関係ないのです。それで、意門が直接、見たり、聞いたりする。ですから、死ぬ瞬間の現象というのは、並みの現象ではありません。ものすごく強烈なインパクトで迫ってきます。再現とか追体験などというものではなく、元の業の何万倍もの迫力で、ありありと体験してしまうのです。(p.p.318-319)

【アニメで学ぼう!集団ストーカー犯罪者の死後】
地獄に堕ちた者は、鉄の串を突き刺されるところに至り、鋭い刃のある鉄の槍に近づく。さてまた灼熱した鉄丸のような食物を食わされるが、それは昔つくった業にふさわしい当然なことである。(Sutta-Nipata 667)

 臨終の心に再現されるこの現象が、一番リアルなのです。心で直接体験するのですから。生の体験なのです。
 臨終の本人の周りで看病している人々には、そんな心のことはさっぱりわかりません。もう、体が動かなくて、意識も朦朧としているように見えるのは、身体が意識のとおりに動いてくれないからだけで、本当は、臨終のときの意識は、それこそ死にものぐるいで動き回っているのです。[身体を離れる]引っ越しのときだから、そんなにのんびりするわけにもいきませんしね。ものすごい勢いで荷物を片付けたり・・心がすごく回転するのです。(p.319)

・・・建物のことではなく、荷物のことに心が行くのです。あるいは、新しい住居のことが頭にあって・・心が回転するのです。・・心が身体を捨てようとすると、身体のことはまったく無関心になる。その代わりに、心の中にはkamma業、kamma-nimitta業の相、gati趣、gati-nimitta趣の相という四つの対象のどれかが現れてきます。
 この四種類の対象のどれかが、心に最後に入る。その瞬間で、人が死んで、次の場所に生まれ変わります。
 そこで、問題があります。死ぬ瞬間、心はいつでも、どんな影響でも受けるのです。ですから、死ぬ最後の瞬間に思い出したことが良い行為や良いものであるならば、心が楽しくなる。悪いことを思い出したり悪いものが見えたりしたら、心が汚れて暗くなる
 まだ死んでいないのです。死んでいないのですが、身体にはもう興味がないので、心だけで何かが思い浮かぶ。(p.314)

・・・心が死ぬ瞬間で、何か過去にやったことが思い浮かんだら、その場面が、鮮明などころではなく、今の瞬間で実際にやっているような感じで、心そのものにありありと映ってしまうのです。そこから心を引き離すことは到底できません
 このようなことで、人間にとって輪廻転生することは、まったくお手上げ状態で、避けられるものではないのです。解脱していない限り、まるっきりコントロールはできないのです。(p.315)

アルボムッレ・スマナサーラ 『アビダンマ講義シリーズ〈第5巻〉業(カルマ)と輪廻の分析―ブッダの実践心理学』

敗戦後の今日を見ては果たして成仏できるや否や


 大津島に行く二、三日前だったか、小生は大竹へ机上襲撃演習に行くことになっていたので・・・(兄と)会して愉快に飲み、兄の泊まるまで世話出来て気持ちよく別れた。これが最後になるかも知れない、というので飲んだのだが、まだ出撃までに二、三ヶ月もあろうし、大浦にも用事があってくるだろうから、一度や二度は顔を合わせられるだろうと思っていた。図らさりき、数日後には一小木箱に納まった兄に見えんとは。

 兄の死を知ったのは、潜校からP基地に帰る日だった・・・少将が・・・『黒木が死んだよ。樋口と一緒に』とずばりと言われた。『しまった』、これが兄の死を聞いた時の偽らぬ感じであった。・・・大竹駅まで言葉を出すのも嫌だった。

 遺骨が到着するというので、駅に出迎えに行った。・・・小さな遺骨箱がとても重かった。これが樋口であり黒木であると言われても、本当の気はしなかった。

・・・兄がもし後1ヶ月半くらい生きて神風特攻隊のことを聞いたら、ずいぶん喜んだろうと思う。

・・・大浦に久し振りに来た仁科と・・・会って夜を徹して話したことがあったが、・・・仁科は、兄の回天を育てた主要目的の一つに、航空隊の奮起を促す点があり、すでに目的の一つは達せられたのだと悟っていた。そうして後は敵を轟沈することだから、それは私が一緒に乗っていてあげることにする。それで兄の成仏間違いなしと言っていた。が、敗戦後の今日の状態を見ては果たして成仏できるや否や。

小島光造『回天特攻』

遺書・遺稿


都所 静世 少佐 
金剛隊伊号第36潜水艦 大津島より出撃
昭和20年1月12日
ウルシー海域にて突入 戦死
群馬県出身 海軍機関学校53期
20歳

 
  蒸し風呂のなかにいるようで、何をするのも億劫なのですけれど、やさしい姉上様のお姿を偲びつつ、最後にもう一度筆を執ります。
  (中略)
 艦内で作戦電報を読むにつけても、この先はまだまだ容易のことではないように思われます。若い者が、まだどしどし死ななければ、完遂も遠いことでしょう。それにつけても、いたいけな子供等を護らねばなりません。私は玲ちゃんや美いちゃんを見るたびに、いつも思いました。こんな可愛い純真無垢な子供を洋鬼から絶対に守らねばならない。自分は国の為・・・と言うより、寧ろこの可憐な子供たちの為に死のう。自由主義華やかなりし頃に育ち、この国を壊しての大戦争の真っ只中、自分のことしか考えない三十過ぎの男や女なんかくそ食らえだと。この大戦争の進直に最も阻害となっているのは、実は日本のお母さんであると申します。自分の子が軍籍に入る事をきらう。殊に危険な飛行機、潜水艦方面に行く事を止める。挺身隊に出る事は、躾が崩れる様に思っていやがる。そのくせ自分のこと、殊に衣食となると、ヤミも敢えて辞さないと言う。こんな事で戦争に勝てるでしょうか。口でばかり偉そうなことを言って、実際見聞きするに堪えないような忌まわしい事が、如何に多い事でしょうか。
  (中略)
 しかし、こんな事にこだわるのは、まだ小さいのです。実際今では、そんな気持ちは少しもありません。生意気の様ですが無に近い境地です。攻撃決行の日は日一日と迫って参りますが、別に急ぐでもなく、日々平常です。陽に当たらないので段々食欲もなくなり、痩せて肌が白くなってきましたが、日々訓練、整備の傍らトランプをやったり、蓄音機に暇を潰しています。 

 今六日〇二四五なのですが、一体午前の二時四十五分やら、午後の二時四十五分やら、とにかく、時の観念はなくなります。

 姉上様もうお休みの事でしょうね。いま「総員配置につけ」がありました。では、これでさようならします。軍機に関する事は一切書かなかったつもりですが、何か知り得た様な事がありましたら、ご他言下さいませんように。尚その際は、消却方お願いします。

 姉上様の、末長くご幸福でありますよう、南海の中よりお祈り申し上げます。

一月六日
 静世

姉上様

 

 

『人間魚雷回天―命の尊さを語りかける、南溟の海に散った若者たちの真実』

Sunday, February 28, 2016

最後の手紙


陸軍少尉 瀬田 万之助 命
昭和二十年三月七日 比島クラークにて戦病死
東京外国語学校
三重県四日市市北町出身 二十一歳

 この手紙、明日内地へ飛行機で連絡する同僚に託します。無事お手許に届くことを念じつつ、筆を執ります。
 目下戦線は膠着状態にありますが、何時大きな変化があるかもしれません。それだけに何か不気味なものが漂っています。
 生死の境を彷徨していると、学生の頃から無神論者であった自分が、今更の様に悔やまれます。死後、どうなるか? といった不安よりも、現在、心のよりどころのない寂しさといったものでしょうね。その点信仰厚かった御両親様の気持が判るような気がします。
 何か宗教の本をお送り願えれば幸甚です。───
 マニラ湾の夕焼けは見事なものです。こうしてぼんやりと黄昏時の海を眺めていますと、どうしてわれわれは憎しみ合い、矛を交えなくてはならないかと、そぞろ懐疑的な気持になります。───
 兄上、姉上、そして和歌子ちゃんにくれぐれもよろしく。
 早々不一
 昭和二十年三月五日
瀬田 万之助
 父 上 様
 母 上 様

 靖國神社編『英霊の言の葉(2)』所収