Saturday, December 25, 2010

紛れもない人殺し ~ 袖振り合うも他生の縁

 
 いじめ自殺の被害者は自らの意思で死を選んだのではない。いじめによって死に追い込まれたのである直接、手をかけてないだけで、いじめ自殺の被害者はいじめっ子によって殺されたに等しい(p.p. 60-61)

上野正彦(2012) 自殺の9割は他殺である』



身投げの名所になっている橋の袂に住んでいた

婆さんの証言というのが昔あって、

ザブンと音がしたら「またか」と竹ざお持って

助けに行くのだが、飛び込んで

まだ意識がはっきりしているうちに助けられた者は、

再び身投げにやってくるが、

ほとんど死んだ状態で救い出され辛うじて蘇生した者は

二度と現れなかったという。

 現代でも比較的早く発見・保護された未遂者は

その後も自殺企図を繰り返すが本当に死の淵まで行って

助かったものは二度と繰り返さないそうだ。


 これはAという人間が自死しようとするとき

Aの意志(心)は死を望んでも

Aの体(生命)は最後には死ぬのを拒むことを示している。

言い換えれば自殺とは心が体(命)を殺そうとする人殺しである。

ましてガスライティング犯罪に遭わなければ

「自殺」など考えもしなかった者が命を落とせば

紛れもない他殺であることは自覚しておかなければならない。


 「袖振り合うも他生の縁」というが、

「告発は妄想だ」と被害者を精神病にでっちあげるために、

集団ストーキングや仄めかしにちょっと加わっただけで

あなたが思いもよらない不幸に遭ったり、

死ぬ瞬間、抗うすべなく地獄に引きずり込まれ

引き返せなくなったら胸に手をあて、

それが自業自得といわれる現象であることを

思い出すがいい。 英語にも古来より

“REAP WHAT YOU SOW.” との教えがある。

 自分の行いはすべて必ず自分に戻ってくる。

それは自然の摂理であり宗教も人種もなく訪れる。