Thursday, April 6, 2017

ミミズの一生、集団ストーカーの輪廻

 ミミズだって死にたくない、幸せでいたいのです。「幸せという何かがあるのだ」と必死で探しまわる・・探して、探して、探しまわって、それでも見つからないたびに、さらに執着が、悔しさが、さらにさらに強烈となる。

 ミミズにとって、生きていて何が幸せなのでしょうか。・・腐りかけた葉っぱを食べて土のなかにいるだけ。目はないし、耳はない。見える、聞こえる、という感覚はまったくなし。ただ身体の感触があるだけです。

 自分がミミズになった気分になってください。まっくらな土のなかで、自分の前にある土を口から食べてお尻から出すだけの一生ですそれなのに、ミミズはそんな自分の命がすごく立派だと思っています。死にたくはない、長生きをしたいと願っています。・・鳥たちに食べられそうになると身体を必死でくねらせて、もがいて逃げようとするのです。・・でも、いったん土の上に出されたら終わり。それでも生命なのです。死にたくはないのです。だから、どこに生まれても同じバカなことをくり返すのです。

 そして、どこに生まれたとしても、その世界で「何かいいことはないかな」と探しまわって生きるのです。私も皆さんも人間の世界に生まれて、人間の世界には何かいいことはないのかと、探して生きてきたのです。・・何かあると思っていて、でもそれが何かはわからないまま。

 わたしたち人間の立場でみれば、ミミズという奴はなんてつまらない生命だろうか、と思うかもしれません。しかし私たちの命も、人間より上の次元、天界の神々などから見ると同じことです。なぜ人間という生き物はそんなに欲ばって、臭く汚い人生を送っているのかと、向こうはこちらをバカにしているのです。

 しかし人間が道徳を守って、こころに汚い思考がなくなって、明るい善の思考がきれいに回転するようになると・・神々が人間に興味を抱いたりする。そのときは身体が臭いことは気にしない。心清らかな人からは、神々も悪臭は感じないそうです。・・帝釈天は、「人間は悪臭のする生命だけど、こころ清らかな人の香りは天界をも貫いてとどくのだ」と言ったというのです。

アルボムッレ・スマナサーラ『死後はどうなるの?』