Thursday, May 13, 2021

死生観が崩壊した亡者が逝く

 今の団塊世代あたりは、一番死生観が崩壊している。面白い統計(統計数理研究所の「日本人の国民性調査」)があって、一九五八年と二〇〇八年に、おなじ項目で死生観調査をやっているんですよ。それを見ると、あの世を信じるかっていう問いかけと、信仰を持っているか、実は一番低いのが一九五八年の二〇代、つまり今の団塊世代です。あの世を信じるのも十数%しかいないし、宗教を信じるというのも十数%しかいなくて、その当時の七〇代が宗教性もあの世思想も両方偏りを持っているのね。

ところで、二〇〇八年に、もう一度同じ質問をしてみると、20代のあの世があると思っている率が、四九%に一挙に上がるんですよ。…いくつかの大学で緩和ケアの講義をしたときに、二〇代の若者の声が聴ける貴重な機会と思って、「あの世あると思う人は手を挙げて」って尋ねてみた。受講する学生や所属学部の理系度と受験の難易度に、宗教性は反比例するようなんだ。自分がまわった中では、旧帝大の医学部が一番低い。(p.p.146-147) 

岡部健「暗闇に下りていく道しるべ」がケアには必要だ

『ケアとしての宗教』所収

Sunday, March 28, 2021

「今だけカネだけ自分だけ」集団ストーカーの孤独死

 私がこれまで看取ってきた中で特に顕著だったのが、都会の大会社などに勤め、いつもビルの中でデスクワークをしているビジネスマンたちです。彼らは日々、自然を相手に仕事をすることがありません。土や泥にまみれて働くということがありません。彼らは、とかく「死んだらすべてが終わって、自分の存在すらなくなってしまう」と思い込み、生に強く執着する人が少なくありませんでした。

そういう人たちは、科学的に証明されることこそが真実であり、科学の知識で解決できないものは敬遠します。死の恐怖をやわらげてくれる可能性があるはずの「お迎え」現象も、「そんなもの信じられるか」という否定的な感じでした。

こうなると、最期が近づき、「お迎え」があったとしても、それを受け取れずに終わってしまいます。そして、先祖も誰もいない場所で、ひとりぼっちで孤独と向き合い、死の恐怖と闘いながら死んでいくのです。(p.167)


奥野滋子『「お迎え」されて人は逝く 終末期医療と看取りのいま』