Sunday, April 10, 2016

敗戦後の今日を見ては果たして成仏できるや否や


 大津島に行く二、三日前だったか、小生は大竹へ机上襲撃演習に行くことになっていたので・・・(兄と)会して愉快に飲み、兄の泊まるまで世話出来て気持ちよく別れた。これが最後になるかも知れない、というので飲んだのだが、まだ出撃までに二、三ヶ月もあろうし、大浦にも用事があってくるだろうから、一度や二度は顔を合わせられるだろうと思っていた。図らさりき、数日後には一小木箱に納まった兄に見えんとは。

 兄の死を知ったのは、潜校からP基地に帰る日だった・・・少将が・・・『黒木が死んだよ。樋口と一緒に』とずばりと言われた。『しまった』、これが兄の死を聞いた時の偽らぬ感じであった。・・・大竹駅まで言葉を出すのも嫌だった。

 遺骨が到着するというので、駅に出迎えに行った。・・・小さな遺骨箱がとても重かった。これが樋口であり黒木であると言われても、本当の気はしなかった。

・・・兄がもし後1ヶ月半くらい生きて神風特攻隊のことを聞いたら、ずいぶん喜んだろうと思う。

・・・大浦に久し振りに来た仁科と・・・会って夜を徹して話したことがあったが、・・・仁科は、兄の回天を育てた主要目的の一つに、航空隊の奮起を促す点があり、すでに目的の一つは達せられたのだと悟っていた。そうして後は敵を轟沈することだから、それは私が一緒に乗っていてあげることにする。それで兄の成仏間違いなしと言っていた。が、敗戦後の今日の状態を見ては果たして成仏できるや否や。

小島光造『回天特攻』