Sunday, April 10, 2016

遺書・遺稿


都所 静世 少佐 
金剛隊伊号第36潜水艦 大津島より出撃
昭和20年1月12日
ウルシー海域にて突入 戦死
群馬県出身 海軍機関学校53期
20歳

 
  蒸し風呂のなかにいるようで、何をするのも億劫なのですけれど、やさしい姉上様のお姿を偲びつつ、最後にもう一度筆を執ります。
  (中略)
 艦内で作戦電報を読むにつけても、この先はまだまだ容易のことではないように思われます。若い者が、まだどしどし死ななければ、完遂も遠いことでしょう。それにつけても、いたいけな子供等を護らねばなりません。私は玲ちゃんや美いちゃんを見るたびに、いつも思いました。こんな可愛い純真無垢な子供を洋鬼から絶対に守らねばならない。自分は国の為・・・と言うより、寧ろこの可憐な子供たちの為に死のう。自由主義華やかなりし頃に育ち、この国を壊しての大戦争の真っ只中、自分のことしか考えない三十過ぎの男や女なんかくそ食らえだと。この大戦争の進直に最も阻害となっているのは、実は日本のお母さんであると申します。自分の子が軍籍に入る事をきらう。殊に危険な飛行機、潜水艦方面に行く事を止める。挺身隊に出る事は、躾が崩れる様に思っていやがる。そのくせ自分のこと、殊に衣食となると、ヤミも敢えて辞さないと言う。こんな事で戦争に勝てるでしょうか。口でばかり偉そうなことを言って、実際見聞きするに堪えないような忌まわしい事が、如何に多い事でしょうか。
  (中略)
 しかし、こんな事にこだわるのは、まだ小さいのです。実際今では、そんな気持ちは少しもありません。生意気の様ですが無に近い境地です。攻撃決行の日は日一日と迫って参りますが、別に急ぐでもなく、日々平常です。陽に当たらないので段々食欲もなくなり、痩せて肌が白くなってきましたが、日々訓練、整備の傍らトランプをやったり、蓄音機に暇を潰しています。 

 今六日〇二四五なのですが、一体午前の二時四十五分やら、午後の二時四十五分やら、とにかく、時の観念はなくなります。

 姉上様もうお休みの事でしょうね。いま「総員配置につけ」がありました。では、これでさようならします。軍機に関する事は一切書かなかったつもりですが、何か知り得た様な事がありましたら、ご他言下さいませんように。尚その際は、消却方お願いします。

 姉上様の、末長くご幸福でありますよう、南海の中よりお祈り申し上げます。

一月六日
 静世

姉上様

 

 

『人間魚雷回天―命の尊さを語りかける、南溟の海に散った若者たちの真実』