Saturday, November 29, 2014

驕れる集団ストーカーも久しからず

プラサンカラート・シー比丘
~タイのサイコパス権力犯罪者とその大衆マインドコントロールから仏法を護った僧の物語

 その日、トンブリー王宮の謁見の間をうめつくした高僧たちの顔には、不安の色がただよっていた。・・タークシン王は・・なんでも、上座部仏教の理想の境地、アラハンとなるための第一の段階というあのソーター果[預流果]を得たとさかんに口走っておられるとか。

やがて・・まばゆいばかりの宝玉の衣に身をつつんだ国王が出御され・・緊張に顔をこわばらす高僧の列に向かって、威厳にみちた王の声がひびく。「余はソーター果を得たぞよ。出家の衆、なんとする。たとえ三衣をまとっていようとも、余の修行にも劣るおのおの方は、余に向かい、合掌の礼を送るのが当然と思うがどうじゃ」

・・だが出家者が在家者に叩頭することが許されようか。それはブッダの教えにもとる行為ではないか。しかし、ここで王の忌諱にふれるならば、どのような災いがわが身を襲うかもしれない。・・やがて先頭に席を占めていたプラポーティウォング・プララタナムニの重苦しい声が、うめくように静寂を破った。
「・・われらいまだその望みを達せぬソーター果を成就あそばされたとの由、つつしんでお祝い申しあげます。われらいたらぬ者の合掌の礼をお受けくださいますよう」
満座の僧は、玉座に向かいひれ伏して恭敬の意を表わした。その時である。プラサンカラート・シーの澄みきった声が、上機嫌のタークシン王の耳をつきさすようにひびいた。
「なりませぬ。おのおの方は、出家の心得をお忘れになったのか」
国王の怒りは天を衝いた。プラサンカラート・シーと、これに従った二人の高僧は、ただちに役人に捕らえられた。反逆の僧は黄衣を破られて、背中に百度の鞭を加えられたが、ついに節を曲げなかったという。国王の怒りはなおも高まり、プラサンカラート・シーらにつらなる平僧五〇〇人を捕らえて同じく鞭刑に処した。「慟哭の声は、全都にみちた」と、『王朝年代記』の筆者は書き残している。・・

しかし、この事件ののち、一年もたたぬ翌年の八月には、トンブリーに内乱が発生し、その結果、タークシン王は王位も追われ、ついに部下の手にかかって殺されてしまった。


・・新王はただちに人を派してプラサンカラート・シーの軟禁を解き、ふたたび従前の地位に復帰させた。そして、プラポーティウォングら、タークシンに諂って地位を得た高僧たちに対しては、仏道を乱した不届きの罪をもって還俗を命じたのであった。



石井 米雄タイ仏教入門』 「プラサンカラート・シーの気骨」