Thursday, January 19, 2012

自分だけは騙されないと思っている犯罪者





【アニメで学ぼう!集団ストーカー犯罪者の心理 2】

「飯降山」

悪徳尼僧と集団ストーカー犯罪者の心理の共通点:

1.快を求め際限なく膨らむ己の欲望を、人殺しまでやって満たそうとする。

2.悪行をしておきながら卑劣な噓を吐いてでも認めない。非難する者あれば殺してでも黙らせる。

3.2番目に年長の尼は、自分だけは絶対に騙されないと思っているが、結局信用していた最年長尼に自分も騙され殺される。COINTELPRO(集団)ストーカー犯罪者らも、首謀者および末端実行犯ともに平気で人を裏切る人種であるのに、自分だけは騙されたり、殺されたりしないと勘違いしている。しかし、当り前のことだが、平気で噓を吐き騙す者は結局、己も騙されるのに、気付いていない。

4.悪行の報いはすぐには現れず、時と場所を経て忘れた頃に痛い目に遭い地獄を見る。つまり因果応報を信じない愚か者が多いのは行為(因)による報い(果)が訪れる時間差が大きい故にすぎないという真理を知ることができない。

5.仮に因果応報の理を受け入れても、COINTELPRO(集団ストーカー)犯罪を続ける己に都合の悪い真理、例えば「偽りを言うものは地獄に堕ちる」ことなどは、真理だと見ない。実際、釈尊もジーザスもはっきりと「噓つきは地獄に堕ちる」と言っているのに、噓を吐く事でしか成り立たないCOINTELPRO犯罪をやり続ける己が「死んだ後どうなるか神や仏にしかわからない」などと誤魔化したりする。

ひどいのになると、この物語の最年長尼のように手前勝手な解釈で、「報いがすぐにこないのは神・仏が赦した証拠」といった妄想を抱く。そして地獄を見るまで悪行を繰り返す。冷静に考えれば「悪行の報いが、なかなか来ない」のは、もはや更正の余地なき“愚か者(バカタレ)と神や仏にも見捨てられたからだと見るのが妥当だろう。このようなバカタレをテーラワーダ佛教では「仏に殺される者たち」といい、大乗では「縁無き衆生」と昔から呼び習わしている。

現代でも悪を為し、やってないと噓を吐き続ける者らが死後、末永く堕ちる悪道などとは全く別の善い世界に赴く、心の正常な人間から、もはや、どうでもいい存在と諦められているのがCOINTELPRO(集団ストーカー)犯罪者だ。彼らをみるにつけ、釈尊が成道後、梵天に強く勧請さるまでは、悟りの教えを説く気がしなかったのも、むべなるかな。
Sutta-Nipata
 He who serves a low (teacher), a fool who has not understood the meaning, and who is envious, goes to death, not having overcome doubt, and not having understood the Dhamma. (317)

「快求め 地獄を見るまで 因果が分からず 仏縁活かさず 仏に殺さる」

'He who speaks falsely goes to hell, or he who having done something says, "I have not done it;" both these after death become equal, in another world (they are both) men guilty of a mean deed. (661)

DHAMMAPADA
119まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遭うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遭う。


318 、 避けねばならないことを避けなくてもよいと思い、避けてはならぬ(必ず為さねばならぬ)ことを避けてもよいと考える人々は、邪な見解をいだいて、悪いところ(地獄)におもむく。