Saturday, February 11, 2012

「中有という存在」 いま死んだ どこへも行かぬ ここに居る


噓をつく必要のない釈尊は、生まれてくるまでと死んでから先に、「中有(ちゅうう)」という存在で生きつづけるのだと仰せられるのです。・・・人が死ぬと、肉体は滅びても、「霊(たましい)」は生きつづけるというようなことはありません・・ところが死にっ放しにならないで、中有の霊肉に生まれ変わるのです。中有の霊肉は、この世の人間界のそれよりもはるかに微妙で、例えば壁などの障壁物を自由に突き抜けることができます。われわれは中有の存在を見ることができませんが、中有の人は、縁がある人を見ることができるのだそうで。「幽明境を異にす」などというのは、この間の消息をいうのでしょう。 (p.134)

岡田利次郎坐禅のすすめ


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204 :鬼和尚 GBl7rog7bM2010/11/08() 19:56:51 ID:hMlmt1ok0
>>192 昔、テレビを見とったらガッツ石松と言うのが出ておった。
 神経が太い男で真夏の夜に暑くなると墓場で涼むそうじゃ。
 すると目の前に人の形をした影がいくつも通るのが見えるそうじゃ。
 しかし、神経が太いからそれだけじゃ。
 
 本当は大抵のものが良く注意してみれば見えるものじゃ。
 しかし、石松のように墓場で過ごしたりせず、死を恐れ、死に関わるものを見ないようにしているから、何か在っても見えない事にしているのじゃ。
 生死を分別し、生きた者と死んだ者は別だと頭で考える故に、死の話もおかしいと感じるだけなのじゃ。
 死によって何かが変わるわけではない。
 誰も消えず、どこかに行くことも無く、親しかった者に会いたければ夢の中で会えるじゃろう

   (伝説の鬼和尚スレより)

379 - Dr. Rauni Kilde (3 of 13): WHO AIDS, Swineflu.., 

 
「いま死んだ、どこへもいかぬここに居る、たずねはするな、ものはいはぬぞ」
    (一休和尚