Saturday, March 23, 2013

本当の死因を語ろう


上野:世界中の統計が老人の自殺の動機の七〇~八〇パーセントは「病苦にある」ってなっているんです。でも、データは噓。・・・例えば、(上野氏が検死した)さっきの老人でも、(孤独感が本当の原因であるのに)動機は神経痛と書かざるを得ないわけです。でも、僕らは現場に行って(遺族の反応を見て)事実を知っているわけです。

ひろさちや:たとえば、いじめで自殺した中学生の死因などはどうなんですか。

上野:やっぱりノイローゼを原因とした縊死(首吊り)、そういうことでしょう。

ひろ:特定のAさんにいじめられたからなんて出てこないんですね。死因のところには。

上野:ええ、出てきません。

ひろ:だからこそ、先生がそこの所を、死者の声を聴かれるわけですよね。そして代弁されている。

上野:ええ、・・・これはもう死者の代弁として、世にアピールしなければ、居ても立ってもいられない。そんな気持ちになってしまうんです。

(p.184-188)

 
上野正彦『死体を語ろう』

 

本当に居ても立ってもいられないなら、上野正彦氏にも是非、「集団ストーカー犯罪の被害に遭ったために亡くなった」死者の本当の死因を代弁していただきたいものである。

当ブログ筆者はこれからも、集団ストーカー犯罪の被害に遭いながら、誰からも理解されずに亡くなっていった犠牲者の、怒り、悲しみ、苦しみを、少しでも代弁していきたい。

Sunday, February 3, 2013

江戸時代の集団ストーカーの死

久米平内堂 (くめのへいないどう)
(浅草寺にある平内堂の案内板の一部)

・・・平内堂には次のような伝承がある。
平内は剣の道にすぐれ、(千人斬りの願をたて、辻斬りなど行い)多くの人をあやめた。
その供養のため、仁王坐禅の法を修行し、後年、浅草寺内の金剛院に住んで禅に打ちこみ、自らの坐禅の像を刻ませ、お堂に祀った。
臨終にのぞみ犯した罪を償うため、この像を人通りの多い浅草寺境内に埋め多くの人に踏んでもらい、その後、お堂に納めたという・・・

浅草観光連盟
台東区教育委員会

(以上 ttp://www.burari2161.fc2.com/kumenoheinai.htm より転記)
     (写真: ttp://www.senso-ji.jp/guide/syohi.html)

江戸時代の集団ストーカー(=人格障害)犯罪者の死も凄惨だが
2500年前の集団ストーカー(被マインドコントロール)犯罪者の死も比較してみよう



 邪悪な師匠にマインドコントロールされ、999人の罪なき人を殺したアングリマーラ。釈尊と出遭って我に返り出家した後も、托鉢に出ると犠牲者遺族や­町の人から毎日半殺しの目に遭い、血みどろになって帰ってくる。そのアングリマーラの死に際­して釈尊がのたまふ

「そなたは忍受しなければならない。かつて犯した悪行によって幾­百年、幾千年、地獄において受けるであろうその報いを、今ここで受けているので­ある」 (中部経典)


さて平成の集団ストーカー犯罪者の、来たるべき死や如何に?

抜粋 『拝啓 ギャングストーカー犯罪者の皆様』
    "Dear COINTELPRO Criminals”

血は繋がっていないとはいえ二十年ものあいだ
一応「家族」であった者へ、そんな言い草をしてまで隠すとは、
よっぽどヤバイもの(ハイテク凶器)を持っているんだなと察して、
見逃がしてやったが、そのやさしさが人殺しを
野放しにしてしまっているのかと思うと
彼ら犯罪者のためにはどちらが良かったのかと考えることもある。

もし人間の心を持てるなら、死ぬまでに正直に自白して、
懺悔し罪をつぐなってほしいと思う。
たとえ元犯罪仲間から裏切り者よばわりされ脅迫、迫害を受け血ヘド吐くような
思いをしたとしても、この犯罪によって、孤独のなか
死んでいった方々の苦しみに比べれば何でもないはずだから
。

「10.-8【ハイテク凶器による危害】継母の不審な挙動」より
http://americanobotsuraku.blog132.fc2.com/blog-entry-34.html


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中部経典 第86経

ある日托鉢に出かけたアングリマーラは、 
彼が凶暴な盗賊であったアングリマーラだと気づいた人々や 
かつて彼に肉親を殺された人々から托鉢を拒否され、 
物を投げつけられ、衣を引き裂かれ、鉢を壊され、 
棒や石で痛め付けられて頭からは血を流し、顔は腫れ上がれました。 
さらに罵声を浴びせられ続けボロボロになって釈尊の所まで帰ってきました。 
釈尊は彼に 
「アングリマーラよ堪えよ、忍受せよ。 
 これはお前がかつて作った悪業の報いである。 
 数十年、数百年の長い間地獄の業火で苦しむ事になる報いを、 
 お前は今受けているのであるぞ。」と言って彼を励ましました。 
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Tuesday, January 22, 2013

死期が迫ったことを悟っていた


“…前途に困難な日々が待っています。
 でも、もうどうでもよいのです。
 私は山の頂上に登ってきたのだから。”(キング牧師)
 (Martin Luther King's Last Speech: "I Have Been To The Mountaintop"  )

  1月の第3月曜は、全米でキング牧師を讃える祝日だが、冒頭の言は「ア~イ・ハヴぁ・ドゥリーム!」でお馴染みキング牧師が暗殺される前夜に行った演説の一節である。スマナサーラ長老の法話やキューブラー・ロス博士のレポートをまとめた著書でも指摘されているように、年齢に関係なく、死ぬ前になると、自らの死期が迫ったことを悟っていたかのような振舞いを見せた人の例は少なくない。キング牧師もまた、その一人のようだ。

 凶弾に倒れる前日、すでに、この世に人として生まれてきた目的、すなわち己の使命を自覚し、それを果たした安堵を、この一節は顕わしているのだろう。不当な苦しみを受け続ける人々を助けるため、やるだけのことをやったなら、後は生前に為した善い行いの善い報いを受け、死後は天の高みからのんびり見守るだけ。一方、キング牧師の偉業を妬み、卑劣な妨害を続け、自殺強要までした、コインテルプロとよばれる権力犯罪者の連中が、死後どんなおぞましい報いを受けるかも、もちろん見えていたことだろう。ここまでの境地に達したゆえの「もうどうでもよい」なのではなかろうか。

Monday, December 24, 2012

酔生夢死是れ集団ストーカーの死なり


竹刀は四つ割りの竹ではないか。そうであれば・・当っこでよいではないかと主張される先生もおられる。竹ならばそういうことになる。スポーツでよい。然し持った竹刀を日本刀という観念で使うことになれば、之は命のやり取り、息の根の止めあいであり、生死の問題であり、修行目標としては、生死を明らめることになる。この心が人生の土台であり、刀を差さない現代でも役に立つのである。(中略)
是は哲学ではなく、禅であり道である・・この人間の道を修行するのである(p.1-2)。

世間で問題にしている段位などは、(持田盛二)先生の念頭にはない。先生の十段の授与式の時・・先生の前へ証書を持って行き、先生が受けられた時に、合図をしてお祝の拍手をしようと・・段取りをしておいた。ところが・・証書を持って行ったら先生は、その証書をポーンと拠り投げてしまった。そして、「わしは、こんなものはいらない。実力がなくて、こういうものがどうして受けられるか。わしには、こういうものを戴く資格がない」と言われた。・・・先生は十段位を辞退されて、後輩に剣道修行の目的は段位ではない。人間形成である。人間形成の真髄は、念々正念相続にありという秘訣を、教えられたのである。念々正念の修行は、道場内だけではない。日常生活の上で、正念の工夫を絶やさない。これが本当の剣道です。(p.7-8)

いくら健康に注意して長生きしても、ただ生きているだけでは、それは生物と同じである。そうは言っても普通の人はたいてい、何ということもなく生きて、そのまま死んでゆく。こういうのを「酔生夢死」という。酒に酔ったように、また夢を見ているように、何もせずに無駄に一生を過ごす。こうなるのは本人は自覚しなくとも、名利によるところが多い。名誉や金に執着して「酔生夢死」になってしまう。またこれより以下は、ただ生活するだけに追われて、それで終わってしまう者もある。(p.198)
 真剣(一心)になるということはその人自体の問題。端からはどうしようもない。本人の「道」を求める心が篤い(かどうか)ということ (p.47) 。畜生というと(十牛図の)尋牛第一あれにも入りません。自己本位で、求道心なんかありはしない (p.28) 。
 
 幕末、越後に河井継之助という達人がいた・・・「世間でみんなが言っている心というのは、あれは心ではない。心というのは、自分が死んで棺桶に入って、四隅に釘をポンポンと打つ。それからあとの心が心だ」と言っている。(p.130)
 
 名利を超越するには「志」がなければいけない。山岡鉄舟は十五で「志」を立てた。十五歳のときの座右銘の、第一ヶ条が「うそ云うべからず」。そして「名利のために学問技芸すべからず」とある。あの人が大を成したのはそこにある。十五のとき、これだから。うそを言わない。そして名利のために学問をしない。それだからあれだけの大人物になる(p.103)。

           『小川忠太郎範士剣道講話』
          参考動画:「劍道九段範士 小川 忠太郎」


  110、素行が悪く、心が乱れていて百年生きるよりは、徳行あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。

111、
愚かに迷い、心の乱れている人が百年生きるよりは、知慧あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。

112、怠りなまけて、気力もなく百年生きるよりは、堅固につとめ励んで一日生きるほうがすぐれている。

113、物事が興りまた消え失せることわりを見ないで百年生きるよりも、事物が興りまた消え失せることわりを見て一日生きることのほうがすぐれている。

114、不死(しなない)の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている。

115、最上の真理を見ないで百年生きるよりも、最上の真理を見て一日生きるほうがすぐれている。

『ブッダの真理のことば』中村元

Sunday, October 21, 2012

臆病者はなぜ地獄に堕ちる?

おくびょうな者、....すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである(黙示録21:8) But the cowardly, unbelieving, abominable, murderers, sexually immoral, sorcerers, idolaters, and all liars shall have their part in the lake which burns with fire and brimstone, which is the second death.' (Revelation 21:8)

    【アニメで学ぼう!集団ストーカー犯罪者の心理 2】


  (集団ストーカー犯罪者更正教育用ビデオ:まんが日本昔ばなし「かっと石」)

  これは、臆病者は本物の平和主義者や民主主義者あるいは道徳的人間になれないというお話。例えばアメリカは官民で組織されたギャング(集団)ストーカー犯罪者が跋扈する“フェイク民主主義”の国にすっかり成り下がってしまった。そのため、真の民主主義者はCOINTELPRO集団ストーカーによって非合法そして秘密裏に迫害、抹殺されている。だから真の勇者でなければ民主主義すら貫けないというわけだ。このように現実の集団ストーカー犯罪を観察することで、昔ばなし「かっと石」の意味が確かめられる。


  さてこの昔話「かっと石」にでてくる「マサカリ」は集団ストーカーにとっての­携帯電話やパソコンなど通信端末機器に相当する。この端末により、「権力犯罪者」組織が独占する非公開の電磁兵器やプライバシー窃盗装置にアクセスできる。そして個々の集団ストーカー実行犯は、根がどうしようもなく臆病なの­で、集団ストーカーという犯罪組織と常に繋がって、集団で犯罪していなければ一日も生­きられず、端末が手放せなくなってしまったというわけだ (ちなみにこの状態は、集団ストーカー犯罪に依存して孤独感を回避する神経回路が確立・強化された状態、とも表現でき、Neuroplasticityがカルマに譬えられる所以でもある)。

 例えば権力犯罪コインテルプロ(集団ストーカーの原型)に従事する腐敗警官などにしても、「特殊な方法で彼らの無線をカットしてやると、集団ストーキング中の腐敗警­官は慌てふためく」という内部情報通からの証言もある。この権力犯罪「集団ストーカ­ー」は、本家である英語圏の国では“ギャング”ストーカーと俗に呼ばれている。英語で「ギャン­グ(gang)」の原義は「群れる」こと。臆病だから犯罪やるのも「群れで」とい­うわけだ。では何故、それほどまでに臆病になるのだろうか?

  その答えを探るため、まず、名著の評判高い岡田尊司著『人格障害の時代』で彼ら集団ストーカー犯罪者の心理を探ってみよう。好んで凶悪卑劣な集団ストーカーという犯罪を行ない、人の苦しみを見て喜ぶ彼ら、彼女らは人格障害の疑いが濃厚だからだ。


「(長い間、服従していた被害者が)人間的に対等な関係に
目覚めたり、実像よりはるかに肥大化した、はりぼての自分(加害者)の価値に気づいてしまうのではないかと不安なのです。この点では、暴力をふるっている加害者の側も決して自信に満ちているわけではありません。見透かされはしないか、正体を知られはしないかと終始汲々として、その不安を解消するために相手を暴力で封じ込めようとするのです。」(p.116)
http://gangstalking-crime-databease.blogspot.com/2011/01/blog-post_29.html


  ではこの「見透かされはしないか、正体を知られはしないかと終始汲々」する、実は臆病な犯罪者のオッサンの群像について、少しばかり時代を遡って具体例を考察してみよう。日本では、あまり知られていないが、「ア~イ ハヴァ~ ドゥリーム・・・」の演説で有名な、かの黒人キング牧師も集団ストーカーの元祖にあたる権力犯罪「コインテルプロ」の被害者だったのだ。キング牧師は長年に渡りコインテルプロ工作員たちから執拗なつきまとい&嫌がらせを受け、何度も自殺を強要されていた。このことは、米国の町の小さな図書館に置いてある本にも載っているくらい、既に公然の歴史事実である。

 ところが、似たような話は他にもあった。FBIといえばドラマなどで、泣く子も黙る威厳と風格のあるイメージを我々は刷り込まれているものだ。だが実は、この国のコインテルプロ実行犯(主に白人)たちは、これまで己が侵略・搾取し、虐げてきたマイノリティたちに、いつ復讐されはしまいかと内心ビビりながら日々過ごしているのであった。そんな白人支配階級の不安を少しでも和らげるために雇われたのがFBI工作員というわけだが、この工作員がなんと「権力の犬」ならぬ「権力の田代まさし」だったのだ。


【権力の“田代まさし”】



~ FBI捜査官が繁みに隠れてインディアンのダンスをノゾキ見

(そのシャツを着れば、敵が放った)弾丸を通さなくなるという「ゴースト・シャツ」の教義を始めたのは、スー族の呪い師、キッキング・ベアだった。このため、連邦政府は、この教義でインディアンがより反抗的になるとして、ことにスー族に対し徹底的に弾圧を加え、ウーンデッド・ニーの虐殺が起こった。この大虐殺で、信者が全滅したことで、ゴーストダンスは急速に廃れていった。100年を経ても連邦政府が、銃弾を厭わなくなるこの教義をいかに恐れているかは・・・1975年に、ウンデッド・ニーで(ネイティブ・アメリカンらが)ゴースト・ダンスを復活させた際、連邦捜査局(FBI)捜査官が繁みに隠れてこれを監視していたことからも推し量れる。(WIKIPEDIA) 


 このように、アングロ民族によるアメリカ侵略とネイティブアメリカン迫害の歴史において「ゴーストダンス」と呼ばれる儀式が流行した時期が1800年代にあった。その後、ネイティブアメリカンたちが「これを着れば敵の弾丸を通さず不死身になれる」と信じた服を着て踊る「ゴーストダンス」を、「1975年」といえば昭和も50年代に入った年だが、そんな現代に復活させたことがあった。その時このシャツを着て踊りまわるネイティブアメリカンたちを、FBI工作員たちがビビりながら、「田代まさし」よろしく「茂みに隠れてジッと覗き見」していたというのだから、まったく事実は小説より愉快なりだ。なぜここまで臆病になるのか?なぜなら、日頃から人の恨みを買うようなことをしてきたからだろう
・・・と、この程度の心理分析ならが、集団ストーカー犯罪者に阿り、精神病のでっちあげに協力しているその辺のインチキ精神科医や心理学者でもできる。ここはひとつブログ<集団ストーカーの死>らしく、月並みな心理分析のレベルを突き抜け、生死の境界をも跨ぐ「真理分析」に入ろう。再度問う。人はなぜ臆病になるのか? 


人が無明や他の因縁により、生ある者という概念を持った時、生の衰える病や老いなどの苦を抱え、生の絶たれる死という苦が生じる。
誤った認識により、生あるものと、生の無いものという分別が起こり、それによって多くの苦が生じるのじゃ。
生あるものであるという概念が、他から離れたものである個我という概念を生み、他から離れた不安と恐怖の苦の海を転変としていく。
それが輪廻というものじゃ。
本来は他との隔たりは無く、一つのものであっても生あるものという分別が苦を生じる因となるのじゃ。
例えば一つの部屋にいろいろな地域から来た人が、何人も入っているとしよう。
何もしなければそのままじゃが、互いに皮膚の色や髪の色などで分別し、仲間を組んだりすると、喧嘩が始まったりする。
分別によって他から切り離されたと思う者が、他を恐れ、不安に思うからなのじゃ。(ブログ:鬼和尚の仏教勉強会「生の滅とは何か。」)
http://onioshyou.blog122.fc2.com/blog-entry-68.html


  つまり個我という概念が生み出す「他から離れた不安と恐怖」が臆病者をつくり、彼らを集団ストーカー犯罪へと駆り立てていたというわけだ。キリスト教に於いてもオーソドックスな教えでは大体、似たようなことを言っている。アダムが神に背いたときから人間は、ちょうど親とはぐれた迷子のように神から離れてしまい、そのため死の不安や恐怖を抱かなくてはならなくなったのだ、と。ではどうすれば集団ストーカー犯罪者らが集団ストーキングという世にも変態な稼業から足を洗えるようになるか?それは是非、上記ブログ「鬼和尚の仏教勉強会」で解決法を学んでいいただくことにして、再び冒頭の問いに帰りたい。

  臆病者はなぜ地獄に堕ちる?いつもながら、ここまで拙文をお読みいただいた奇特な、しかし聡明な読者の方には、既に答えは明々白々であろう。昔話「かっと石」の主人公は臆病を隠そうとしてマサカリという物騒な凶器を持ち出した。同じように己の臆病を根元から見つめ直し、退治する努力をせぬ者が、現代の「マサカリ」に相当する凶器、すなわち非公開の電磁兵器や、それにアクセスできる通信端末といった集団ストーカー道具を持ち出す。相手が反撃できない状況をつくり、何の落ち度も無い、一般市民にすぎない無抵抗の被害者に、肉体的および心理的拷問を加え続け、生活を破壊し、死に至らしめてきた。しかも、たった一人を相手に、ときに数百人規模のマインドコントロールされた大衆が加害を行なう。まったく卑怯極まりないが、いやしくも「卑怯者」とは「卑しく怯える者」と書く。やはり臆病者ほど卑劣な行為に走りやすいということか。

 この「卑しく怯える」者どもが、同じように臆病な権力犯罪者と徒党を組む。すなわち遠隔から思考解読器などで他人のプライバシーを窃盗し、弱みを握って脅迫する犯罪に頼ることでしか生きられない卑怯者の集団「コインテルプロ」犯罪者たちの奴隷として犯罪者の家畜のような人生を送る ― 神仏からも、道徳的にまともな人間からも見放され、もはや己を認め必要としてくれるのは、この権力犯罪者どもだけだからだ。

 しかし臆病な者同士が何万人集団になったところで臆病者に変わりはない。集団になり気が大きくなることで、己の臆病を誤魔化しているにすぎず、「もしこれで共犯者集団から仲間はずれにされたら生きていけない」という別の恐怖心に苛まれ、犯罪が死ぬまでやめられなくなる。さらに集団でストーカー犯罪をやって「どうせ皆やってることじゃないか」と開き直り、死ぬまで罪を償うこともできない。だがしかしその肉体が死ぬときは独り、そして死んだ後も独り苦しむ現実から逃避はできない・・・
  
「端末を 肌身離さず 集団すとーかー デムパの届かぬ 地獄に墜ち泣く」

 さて、そのいっぽうで「集団ストーカー犯罪は、しない、させない、トボけない」人間こそは、今この世で最強の勇者であることは、もはや説明いらないだろう。

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Dhammapada


103、戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である。

104/105、自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。つねに行ないをつつしみ、自己をととのえている人、___このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神も、ガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天もなすことができない。


317 、恐れなくてもよいことに恐れをいだき、恐れねばならぬことに恐れをいだかない人々は、邪な見解をいだいて、悪いところ(地獄)におもむく。

319 、遠ざけるべきこと(罪)を遠ざけるべきであると知り、遠ざけてはならぬ(必らず為さねばならぬ)ことを遠ざけてはならぬと考える人々は、正しい見解をいだいた、善いところ(天上)におもむく。




関連資料映像:The Soviet Coup: Day One, August 19th 1991





Friday, September 21, 2012

どこかに不幸な人がいたら


人の世の苦しみに泣いたおかげで
人の世の楽しみにも心から笑える
打たれて踏まれて唇を噛んだおかげで
生まれてきたことの尊さがしみじみ分る
醜い世の中に思わず立ちあぐんでも
見てごらん ほら あんなに青い空を
みんなが何も持ってないと人が嘲っても
みんな知っている、もっと美しい本当に美しい尊いものを
愛とまことと太陽に時々雨さえあれば
あとはそんなにほしくない
丈夫なからだとほんの少しのパンがあれば

上機嫌でニコニコ歩きたい

それから力いっぱい働こう
そうして決して不平は云わずに
何時も相手の身になって物事を考えよう
いつもつらくても決してひるまずに

どこかに不幸な人がいたら
どんなことでも力になってあげよう
もしすっかり自分を忘れてして上げられたら
もうそれできっと嬉しくてたまらないだろう

朝 お日様が昇るときは
あいさつに今日もやりますと叫びたい
夕べ お日様が沈むときは
夕焼け空をじっと見つめて座っていたい

心にいつもささやかな夢をいだいて
小鳥のようにそっと眠り
ひまがあったらふるい詩集をひもといて
ひとり静かに思いにふけりたい

幸せは自分の力で見出そうよ
真珠のような涙と太陽のような笑いの中に

今日もまたあしたも進んでいこうよ
きっといつの日か振りかえって静かに微笑めるように


 (以上、上野千里氏の遺言)

この詩を作った人は、グアム島の戦犯収容所で、絞首刑になって死んだ上野千里という人である。元海軍軍医中佐で、四十歳で刑死した。落下傘で降下した米軍操縦士の傷を手術中に「殺せ」という命令を受けたかれは、これを拒否してなおも手術を続行している最中に爆撃を受け、一時退避して再び取って返したとき、その米兵は何者かに刺殺されていた。その責任を問われ、絞首刑となったのである。
かれは無実であった。上官の罪を背負い、部下の罪を引っ被って刑死したのである。(p.229)

紀野一義 『維摩経』



遺書

特攻隊の英霊に曰す
善く戦ひたり深謝す
最後の勝利を信じつゝ肉彈として散華せり
然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり
吾死を以て旧部下の
英霊と其の遺族に謝せんとす

次に一般青壮年に告ぐ
我が死にして軽挙は利敵行為なるを思ひ
聖旨に副ひ奉り自重忍苦するを誡ともならば幸なり
隠忍するとも日本人たるの衿持を失ふ勿れ
諸子は國の寶なり

平時に處し猶ほ克く特攻精神を堅持し
日本民族の福祉と世界人類の和平の為
最善を盡せよ

海軍中将大西瀧治郎


「之でよし百萬年の仮寝かな」


「すがすがし暴風の後月清し」

Tuesday, May 29, 2012

『拝啓 日本のギャング・ストーカー犯罪者の皆様へ』

 ~クリスマスのご挨拶

(初出2009年12月25日)


  在日本ギャング
・ストーカー犯罪者の皆様、ジーザス誕生祝いの日いかがお過ごしですか?
ギャング
・ストーキング犯罪の本家/本場ここアメリカでは、YOSHINOYA USAさえ夕方早々には店を閉め、ひっそりしたクリスマスイヴのこの夜も、ベッドに横たわり目を閉じた途端に近くで待機していたらしいギャングストーカーが乗った車が家の前にて停車し、3分間くらい何度もクラクションを鳴らしたりドアを開閉する音を立て、無視しているとそのうち笑い声を上げ去っていきます・・・いつものごとく。

  国民の半数以上が神を信じるこの国の、一年で最も和やかなはずのこの夜にアカの他人の、ただの日本人のオッサンの自宅に押しかけストーキングしなければならない、例えば上記のようなストーカー犯罪者たちが幸せな人生を送っていると、皆様は思いますか?
幸福で精神的に満たされた者が他人の苦しみ見て喜ぶようなことやると思いますか?

  皆様が日本でやっている集団ストーキングは、彼らキリスト教国の民が考え出した集団犯罪のパクリなわけですが、拷問用マイクロ波凶器をはじめ、遠隔から脳内の微弱電気信号を読み取り思考解読する機器まで開発
し、「そんなもの存在しない。妄想だ。病院行け」と世間を騙してまで独り占めし、いくら濫用してみたところで、科学技術の発達が人間を幸福にはしないことにそろそろ気づきませんか?

そこで皆さん、アメリカ人の犯罪手法をサル真似するついでに集団ストーキング犯罪本家のキリスト教の民が古来より、集団ストーカーのあなた方が死んだらどうなると教えているのか聖書を覗いてみませんか。

  マッチポンプ式に無益な対立を作り出し、煽り煽られ人格崩壊していったあなた方も心を研ぎ澄ませば、2千年の時と空間を越え、天上にて「父ちゃんは悲しいぞ」と嘆いてるジーザスさんの声が聞こえてくることでしょう。

   来年のこの日も暢気に2chをみていられる保障は誰にもありません
     では、どうぞよい死後を!    
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イエスは弟子に言った。「つまずきが起こるのは避けられない。
だが、つまずきを起こさせる者は、忌まわしいものです。この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。気をつけていなさい。」ルカ17
・1

「すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである」
黙示録21:8

(生前、非常に欲深かった男が死後アブラハムに懇願する
)
『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。
・・・・わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることの
ないように、よく言い聞かせてください。』 アブラハムは言った。
『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』ルカ 16・19-31

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後記:このメッセージを最初にネット掲示板へ投稿したのが2009年12月のクリスマス。その後2011年3月に東日本大震災。生前の悪行を認め、償うことなく大量に亡くなった東北地方の集団ストーカー犯罪者の皆様にお悔やみ申上げます

「やり放題 やった犯罪償わず 東北PERPの 霊や今いずこ」


今日のおまけ:

「門松は 冥途の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」 (一休)


…「世のしれ物かな。かく危あやふき枝の上にて、安き心ありて睡ねぶるらんよ」と言ふに、我が心にふと思ひしまゝに、「我等が生死しやうじの到来、ただ今にもやあらん。それを忘れて、物見て日を暮す、愚かなる事はなほまさりたるものを」…
 (兼好法師 徒然草 第41段)