Thursday, July 17, 2025

七生報「友」

 戦後80年の間に日本人が失ってしまったものとは? 特攻の記憶を宿した少年が語る
https://www.youtube.com/watch?v=Z2ZefMo78zU


人は何のために生きるのか? 10歳の男の子に宿った特攻隊の記憶
https://www.youtube.com/watch?v=Vp4_DTQ73Io


戦前の軍人の多くが矜持した「七生報国」は、楠木正成が戦で自刃するときに、後醍醐天皇に対し遺した言葉で、穴澤氏の言うとおり「死んで七度、生まれ変わっても、国のため報いる」という誓い。天皇に最後まで忠義を盡した楠公は戦前の軍人の鏡で、回天の胴体にも楠木家の家紋「菊水」が描かれている。

生まれ変わる回数の「七度」は仏教の悟りの最初の段階【預流果】に達すると、あと七回(ただし畜生、餓鬼、地獄はない)生まれ変わったら煩悩が尽き輪廻転生が終わることから来ている。次の段階が、あと一回だけ天界と人間界に生まれる「一還果」、その次がもうこの娑婆世界には転生しない「不還果」。

 「忍耐・堪忍は最上の修行である」ブッダ


ところで、なぜ戦後「腐りきったヘタレの世」になったのか。それは冷酷非道に人を傷つけ平和を破壊するサイコパスに怯むことなく命を懸けて人間の盾となり同胞を守る勇敢な者ほど早く亡くなり、卑怯で臆病に逃げ回るオッサンらが生き延びたから。
特高警察のオッサンらはアメリカ人将校に跪いてブーツにキスして命乞いしたおかげで戦後も公安警察として生かしてもらえているのは有名な話。

COINTELPRO集団ストーカー犯罪やってる公安、カルト、ヤクザのオッサンら見ればわかるだろう。いい歳したオッサンが何十何百も群れで被害者一人を相手に集団で虐待し、やってないと嘘吐き逃げる。虚勢を張ってるが、所詮、卑怯で臆病な一人では何もできない弱いオッサンの集団にすぎないのだ。

きっとアメリカ人様に「お前ら誰のおかげで、いいおもいできると思ってんだ、ああ?」と、すごまれると「ははあぁーっ」と土下座して恐れ入ってしまうのであろう。さらに死んでから地獄があったら困るような悪事を行なっているから、輪廻転生があることを認められず、必死に否定するのだ。

いっぽう、同胞を守るため勇敢に戦った勇者はこうして続々と生まれ変わってくる。
袖振り合うも他生の縁。
転生した特攻隊員を見て共感する皆様方もまた、前世で戦のもたらす悲しみを経験した「友」に違いない。
あと6回、腐ったヘタレの世界にあっても腐らず、ともに人を助け世の哀しみを減らす大事を必ずや成し遂げむ。

「平時に処し猶ほ克く 特攻精神を堅持し
 日本民族の福祉と 世界人類の和平の為
 最善を尽せよ」
 海軍中将 大西瀧治郎

 

「我々は最後の砦。後は無い。」
 https://www.youtube.com/watch?v=kOpxI8k1Emc
東日本大震災の記録
 ただ、目の前の命のために。
全国民の「想い」を胸に、被災地へ、
 Dhammapada423 
 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖者、完成すべきことをすべて完成した人、___かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。


Wednesday, July 9, 2025

自分の輪廻転生を見よう

 仏教の過去を見る智慧は、でっちあげの妄想ではありません。修行者が過去世を知る場合は、どんな名前だったか、どんな性格で何をして生活していたか、どれくらいの寿命だったかなどの事柄を明確に知っているのです。
なぜこれが仏教に役立つ智慧なのかというと、心を邪見から解放してくれるからです。過去を見ることができると、どこまで過去を遡っても自分が渇愛によって輪廻転生したこと、苦しみながら生きて生に未練を残しながら死んでいったことを発見できるのです。そして、生に未練がある限り、それが終わらないことも発見できます。
(p.329)
記憶がそれ以上思い出せない場合は、覚えている先の過去に飛ばずに、順番で思い出せるところまで遡ってみる。そういうふうにつなげて考えるのです。…我々がなぜ過去を思い出せないかというと、いつでも思い出しやすいことばかり思い出してしまうからなのです。
(p.334)

アルボムッレ・スマナサーラ『沙門果経』

Monday, June 30, 2025

Truth is ridiculed by the secret services led by the U.S.

 They attack academic population, scientists who dare to come out with different world view.


They (Scandinavians) are afraid to express them (contact with the dead) because they are ridiculed, and that ridicule is done on purpose. They are -  shall I say organizations - especially the secret services led by the U.S often, that absolutely attack especially academic population, scientists who dare to come out with the different world view. They are ridiculed, and sometimes in the States, especially their finances, their research money is withdrawn because the elite do not want people to know who they actually are. 

The elite do not want people to know what they can do if all the population of the world concentrate even for a minute a day. We want peace, we want harmony, we want love on this planet. The world will change, but they do not want that. They want war because that is how they get the money. (2:45 - )

Dr. Rauni Kilde (4 of 13)_  Telepathy, death...

Saturday, April 15, 2023

大門正幸 『生まれ変わりを科学する』

 1950年7月生まれのダニオン・ブリンクリー。25歳の時、落雷で実質的に死亡した時の体験です。

…ベトナム戦争のとき、カンボジアのジャングルに潜む北ベトナム軍の大佐を狙撃して頭を吹き飛ばした場面で大佐が感じた、頭が吹き飛ばされた時の混乱や二度と家には帰れないと気づいた時の苦痛、そして、家族の悲痛な気持ちを感じました。

…面白半分に誰かを傷つけた場面を思い出すのは、何より辛いことでした。

また、人生にとって一番大切なのは、人にどれだけ愛情を与えてきたか、人からどれだけ愛情を受け取ってきたか、であり、自分自身の人生は非常に情けないものであったと深く恥じ入りました。



臨死体験後、奇跡的に回復を遂げたブリンクリーは、生き方を大きく変え、ホスピスでボランティア活動を行うなど、愛ある行為に重きを置いた人生を送るようになりました。

そして1988年5月、ブリンクリーは手の傷からブドウ球菌に感染し、最初の臨死体験で弱っていた心臓が損傷を受け、瀕死の状態に陥りました。この時、2回目の臨死体験が始まりました。

人生回顧の前半は1回目と同じで、25年間の出来事を身を切られる思いで追体験しました。しかし、後半の14年間の回顧は、自分の愛ある行いによって心が満たされた人たちの喜び・安堵・幸福感を自分の気持ちのように追体験しました。

この時の気持ちをブリンクリーは「善行が花火のようにはなばなしく打ち上げられていた。それは、まるでアメリカ独立記念日の花火大会のような気分だった」と語っています。


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深い瞑想に入って己と言う概念が消える時、自他を等しく観る意識を感じるじゃろう。

 他人に行った事を、己に行ったことと観て、平等に扱う平等性智がそこにあるのじゃ。

 それは他人を苦しめたのならば、自らをその分苦しめるように体を動かすのじゃ。

 誰も己の心を騙すことが出来ない故に、それは善悪の行いをくまなく平等に観ることができるのじゃ

鬼和尚:2011/06/01

Thursday, May 13, 2021

死生観が崩壊した亡者が逝く

 今の団塊世代あたりは、一番死生観が崩壊している。面白い統計(統計数理研究所の「日本人の国民性調査」)があって、一九五八年と二〇〇八年に、おなじ項目で死生観調査をやっているんですよ。それを見ると、あの世を信じるかっていう問いかけと、信仰を持っているか、実は一番低いのが一九五八年の二〇代、つまり今の団塊世代です。あの世を信じるのも十数%しかいないし、宗教を信じるというのも十数%しかいなくて、その当時の七〇代が宗教性もあの世思想も両方偏りを持っているのね。

ところで、二〇〇八年に、もう一度同じ質問をしてみると、20代のあの世があると思っている率が、四九%に一挙に上がるんですよ。…いくつかの大学で緩和ケアの講義をしたときに、二〇代の若者の声が聴ける貴重な機会と思って、「あの世あると思う人は手を挙げて」って尋ねてみた。受講する学生や所属学部の理系度と受験の難易度に、宗教性は反比例するようなんだ。自分がまわった中では、旧帝大の医学部が一番低い。(p.p.146-147) 

岡部健「暗闇に下りていく道しるべ」がケアには必要だ

『ケアとしての宗教』所収

Sunday, March 28, 2021

「今だけカネだけ自分だけ」集団ストーカーの孤独死

 私がこれまで看取ってきた中で特に顕著だったのが、都会の大会社などに勤め、いつもビルの中でデスクワークをしているビジネスマンたちです。彼らは日々、自然を相手に仕事をすることがありません。土や泥にまみれて働くということがありません。彼らは、とかく「死んだらすべてが終わって、自分の存在すらなくなってしまう」と思い込み、生に強く執着する人が少なくありませんでした。

そういう人たちは、科学的に証明されることこそが真実であり、科学の知識で解決できないものは敬遠します。死の恐怖をやわらげてくれる可能性があるはずの「お迎え」現象も、「そんなもの信じられるか」という否定的な感じでした。

こうなると、最期が近づき、「お迎え」があったとしても、それを受け取れずに終わってしまいます。そして、先祖も誰もいない場所で、ひとりぼっちで孤独と向き合い、死の恐怖と闘いながら死んでいくのです。(p.167)


奥野滋子『「お迎え」されて人は逝く 終末期医療と看取りのいま』

Saturday, May 2, 2020

伝統ハ 心中ニ躍動セシメテ 力ヲ発揮


遺書
伝統ハ神秘ニシテ偉大ナリ。而シテ之レハ吾人ノ心ノ中ニアリ。伝統ソノモノハ何ラノ力ヲ有スルナシ、吾人ノ心中ニ躍動セシメテ初メテ驚クベキ力ヲ発揮ス。廉恥ナキ者ニ伝統ハ無価値ナリ。
陸士五十六期 白井又祐
 『あかねぐも第一集=原町飛行場関係戦没者の記録=』(p.96)

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【参考】
265 : 避難民のマジレスさん :2020/05/01(金) 19:41:22 ID:h5P9mv0k0
日本の原風景や文化を守ることは大事なことなんですか?
全てが移り変わるのが世の定めなら、守るべきものは何もないような気もします。

悪い行いではないと感じますが、移り変わりゆくものに多大な労力と時間を割くのもどうかなと思います。
文化や風景が変わらない、と言うのは本来ならあり得ないことですよね。

伝統の「形」にこだわって、それを守り維持し続ければ、いずれその想いや魂は復活するんでしょうか?
滅びるものは何をしても滅びる運命なんでしょうか。

266 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2020/05/01(金) 22:04:24 ID:1d4drIFg0

>>265 それによって人が自分を知ることができるならば大事なのじゃ。
 そうでなければ大事ではないのじゃ。
 ただの観念遊戯にもなるのじゃ。
 
 何も復活はしないのじゃ。
 もはや何のためにやっているのかもわからない伝統もあるからのう。
 全てのものは滅びるのじゃ。
 生きている間に自分を少しでも知ることだけが大事なのじゃ。

Sunday, April 12, 2020

集団ストーカーの前世はアズマヤドリか

アオアズマヤドリのオスは、メスの気を引くために不思議なU時形の建造物を作る。何百本もの細い枝を集めてきて、まるで籠でも編むかのようにびっしりと組み上げて行くのである。…残念ながらこれはディスプレイ専用である。彼らの本当の巣は樹上にあり、従ってこの建造物は庭園などに立てられた小粋な小屋、即ち東屋に相当する。
[・・・]
ところが、…ライバルのオスが隙を窺ってはやって来て、東屋を壊し、ついでに大事なコレクションを盗んでいったりするのである。
アメリカのG・ボージアは、アオアズマヤドリのこの“犯罪行為”について詳しく調査した。…それによると、東屋壊しの犯人はたいてい最も近くにすんでいる者である。“犯人”は主の留守を狙って抜き足差し足で近づいていく。あるいは近くの枝にじっと止まって主が出かけるのを待っている。全壊させることは稀で、たいていは半壊か小枝を数本抜きとるだけである。ただ、貴重な青い羽根を盗んでいくことだけはどの犯人も忘れない。当然と言うべきか、よくできた東屋ほど被害に遭いやすいこともわかった。

しかし驚いたことに、この調査によるとオスのほとんどすべてが何らかの犯罪者であるという。だから東屋めぐる犯罪模様は大混戦で、他人の東屋を壊しに行っている隙に自分の東屋が壊されてしまうとか、犯行の最中に主が帰ってきて大騒動になるというケースも珍しくない。オスはどうやら近所どうしで意地悪合戦をやっているらしい。

竹内久美子『そんなバカな!遺伝子と神について』

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【参考】

 古都に空襲がなかったのは、その文化財を保護するためにアメリカ軍が爆撃を控えていたからであり、そのことを進言した“古都の恩人”はウォーナー博士であるという、≪ウォ―ナー伝説≫は全く事実無根であった。
 米軍による爆撃によって焼失した日本の文化財は、国宝二九三件、史蹟名勝天然記念物四四件、重要美術品一四三件であり、合計四七一件もが灰になったという。
…CIEの前身は、太平洋戦争において「ラッカサン・ニュース」などで活躍した米軍の〈心理作戦課〉であった。…つまり対日心理作戦の専門部隊であった。そして、CIEの局長であるダイク准将も、《ウォーナー伝説》の創作者ヘンダーソン中佐も、共に対日心理作戦に従事した専門家だったのである。
 つまり、CCD[*民間検閲支援隊]が検閲を通して、原爆報道などアメリカの悪いイメージの流布を阻止することを任務としていたのに対して、CIEの任務は宣伝によって、日本軍国主義の批判やアメリカのよいイメージの普及をはかることにあったのである。

吉田守男『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』

Saturday, November 3, 2018

集団ストーカーが本来、受けねばならぬ罰

     You are on the wrong  side of  the bars.

[実際の絞首刑の現場]

バッター-ッン・・・・・・。
両の耳をつんざくような音が、乱暴に沈黙を切り裂いた。(三鷹事件の濡れ衣を着せられた)桜井が立っていた足元の踏み板が外れ、そのはずみで反対側の床の裏側に叩きつけられたのだ。上方の明かりとりの窓ガラスが、地震の時のようにビリビリと音をたてて震えた。

窓ガラスから下へ視線をもどすと、そこに立っていたはずの桜井の姿は、もうなかった。再び静まりかえった部屋で、天井からぶらさがった一本の太い縄だけが、ギッシギッシギッシ、不気味な音をたてて揺れていた。小さな円を描きながら小刻みに震え、時おり大きくブルブルッと揺れる絞縄の動きは、その場にいる全員に否応なく、地下に吊り下げられた人間の断末魔を想像させた。p.196

[処刑に立ち会う渡邉教誨師]

自分の目の前をロープが、ビーンッと伸びて、落ちていった体がグッ、グッ、グッとなるのをね、こうやって上から見るんです。
 ロープがね、あのロープがね、重さによって一本か二本、細いのがピシッピシッピシッと切れることがあるんです、体の重さでね。
・・・・失敗したからと言って助かりっこない、首が切れますから。p.p.201-202

・・・・何かあるとすぐに死刑、死刑と言うけどね、それを実際にやらされている者のことを、ちっと考えてほしいよ。p.203 (渡邉)

堀川恵子『教誨師

Monday, September 3, 2018

Samsara of the COINTELPRO perps

You should know that the more blessings you enjoy, the greater the evil karma you are likely to create, making it difficult to avoid the path of hells, hungry ghosts and animality in the third lifetime. (p.115)

Footnote: In the first lifetime, the practitioner engages in mundane good deeds which bring ephemeral worldly blessings (wealth, power, authority, etc.) in the second lifetime. Since power tends to corrupt, he is likely to create evil karma, resulting in retribution in the third lifetime. Thus, good deeds in the first lifetime are potential "enemies" of the third lifetime. (p. 119)

Master Yin Kuang, "Pure-Land Zen Zen Pure-Land

Sunday, April 22, 2018

死を目前にして、もう一度だけ

ソ連兵の家族写真

 武装解除した九一師団は、ソ連軍の許可を得て戦場整理を始めた。戦場整理とは戦場に残る遺体を回収して葬ることを指す。…近くの草むらを見渡すと、一体の遺体が横たわっているのに気がついた。軍服からソ連兵に間違いなかった。
「あれっ。ロスケが死んでいやがる。この野郎、攻めてきやがって」
小田らは悪態をつきながらさっそく近づいた。…ソ連兵は四嶺山の方を向いて右半身を下にして倒れ、左手を伸ばして、その手の先には何かを握っていた。…
「この野郎。何を持っていやがる」
小田が手を伸ばして確かめると、それは黒い手帳だった。小田の指先が触れた拍子に手帳が地面に落ちて、手の中には一枚の写真だけが残った。小田が手にしてよく見ると家族写真だった。
 海軍士官の軍服姿の男が右に立っていた。死んだ本人だった。左端にはマリア様のような美しいロシア人女性がつつましい笑顔を浮かべて並び、真ん中には四歳ぐらいの男の子がいた。…小田は、女性は妻で家族写真に違いないと確信した。
…そこにはある家族の幸せな暮らしがあった。
この写真を見たとき、小田は雷に打たれたような衝撃を感じた。
「こんな美しい奥さんとかわいい子供を残して、この男はなぜ死ななければならないのか。とっくに戦争は終わっているはずなのに」
小田の目に涙がにじんだ。…このソ連軍将校は死を目前にして、もう一度だけ妻や子供の姿を見たいと胸ポケットの手帳を取り出そうとしたのではないか。…小田は手帳と財布を将校の軍服の内ポケットに納めて、胸のボタンを締めてやった。もう二度と大切な宝物を落とさないようにと。


相原秀起『一九四五 占守島の真実』

Saturday, September 30, 2017

Mindfulness on your deathbed

Such a disinterested enjoyment of nature as shown by Shingen and Kenshin even in the midst of warlike activities, is known as furyu, and those without this feeling of furyu are classed among the most uncultured in Japan.  The feeling is not merely aesthetical, it has also a religious significance. It is perhaps the same mental attitude that has created the custom among cultured Japanese of writing a verse in either Japanese or Chinese at the moment of death. The verse is known as the “partig-with-life verse.” The Japanese have been taught and trained to be able to find a moment’s leisure to detach themselves from the intensest excitements in which they may happen to be placed. Death is the most serious affair absorbing all one’s attention but the cultured Japanese think they ought to be able to transcend it and view it objectively.

D.T. Suzuki, "Zen and The Japanese Culture"

[有名な故事「敵に塩を送る」など]戦の真最中に、信玄や謙信が示した、かかる利害を超越した「自然」の享楽は「風流」と呼ばれている。この風流の感情なきものは、日本では最も教養のないもののなかに入れられている。この感情は単に美的のみならず宗教的な意義をもっている。諸芸に通じた教養ある日本人の間に、臨終に際して詩歌をかく習慣を創始したのも、おそらくは同じ心的態度にもとづく。かかる詩歌は「辞世の詩や歌」として知られている。日本人は自分たちが最も激しい興奮の状に置かれることがあっても、そこから自己を引離す一瞬の余裕を見つけるように教えられ、また、鍛練されてきた。死は一切の注意力を集注させる最も厳粛な出来事であるが、教養ある日本人はそれを超越して、客観的に視なければならぬと考えている。
(p.93)


鈴木大拙『禅と日本文化』

らちもないことを始めて


 私は長い間、亡き方のお手紙を桐の手箱に納めて箪笥に秘めていた。それは原町飛行場で厳しい訓練に明け暮れていた若い飛行兵達から私に送られたものだった。
 昭和十九年秋、彼等は決戦に馳せ参じる決意で気負い立っていた。涙ながらに見送る私達に、或る人は淡々と、或る人は人間的苦悩をみせて別れて行ったが、どの人も自分達が亡き後も新聞、映画に戦果をたたえられて、いつまでも人々の胸に生き続けると信じて征った。
「新聞を見て下さいよ。」と口々に言った言葉が、ありありと私の耳に残っていた。
 しかし、敗戦を迎えたとき世論は一変した。特攻隊員は異常な人でもあるかの様に言われていた。
 可哀相に、生命を賭けて守ろうとした日本と、国民にののしられ忘れられるあの方々。敗戦であっても、生命をかけた行為が罪悪とまで言われなければならないことなのであろうか。
 私まで忘れてはしまえない。満州で特攻命令を受けて敗戦で生き残った主人に頼んだ。この手紙は私が生涯、大事に持ち続けます。死んだら私の柩に納めて一緒に焼いて下さいと。(p.1)

        ******

 昭和四十九年、沖縄戦で戦死された六十六戦隊、川口弘太朗さんの弟、川口剛さんが原町の慰霊碑に参拝においでになった。
・・・「一生懸命作って、兄貴たちを逝かせてしまって…… 怠けてればよかった」。剛さんは、各務原の工場に勤労動員として行き、飛行機の部品を作っていたという。この言葉は、私達戦中派に共通の後ろめたい思いを代表している。私が懸命に慰問文を書き、役に立たない[自分の]身を嘆いた事は、あの方々を一途に死に追い込む事になったのではないかと悲しまれる。


 戦争責任というものがあるものなら、戦犯、軍人などばかりが罪人とは言えないのではないか。あの時代に生きた者一人一人罪を犯しているはずである。太平洋戦争の始まった日、十六年十二月八日に私の身辺で、困った事がおきたと言った人はなく、遠縁のおじいさんで日露戦争に従軍したことのある方一人だけだった。「らちもないことを始めて」と吐きすてる様に言ったのを聞いた。国民の大部分、真実をしらぬままではあるものの、戦争を喜んだのだ。いま戦争を知らない人達はよくこんなことを言う。「入隊を断ればよかったのに」とか「逃げればよかったのに」などと……。そんなこと出来るはずもなく、また、その様な発想もなかった。軍国主義の教育を受けて信じていた私達若者だった。


 流されて生きたのは、私達も、あの戦って死んだ人も同じだった。そして彼等は怒涛に呑み込まれてしまった。後世の人の批判にも賞賛にも答えるすべのない世に行ってしまった。生き残った私達は、当時の思いも行動も、こうして弁解する事が出来るが……。
 必死に生き、そして戦死した青年達の息吹きをいくらかでも伝え代弁してあげたい。(p.p.52-53)


          ******


 ・・・[特攻隊員のひとりが原町を旅立った]この朝受けた電話も、心に残る一事だった。出発時刻変更を告げた後、受話器の向うの人は、語るべき思いも言えぬまま長い時間受話器を持っていた。そして答える言葉も持たず私も送話器の前に立ちすくんでいた。これから生きて語るべき言葉を、その一刻に圧縮した重い沈黙だった。十五歳の少女の私にはすべもない深い深い沈黙だった。その重みは私にずしりと伝わって来て耐えきれず、ついに私の方から別れの言葉を告げた。何故、私は別れを告げてしまったのだろう。受話器を持ちつづけた彼は何かを語ろうとしていたのではなかったか。受話器を置けば永別、手がしびれる程待ちつづけていればよかったのに。

 この手記を書きだした或る日、この電話の場をそっくり再現した夢を見た。その中ではさすがに私も十五歳の少女ではなかった。噴き出す思いを如何に伝えようかと焦って、問いかけたが、やはりあの日の様に受話器のむこうは一語も漏れて来ない深い沈黙のままだった。私は、「何で返事が出来ないんですか。軍の秘密なのですか」と叫んで夢から覚めた。今も軍の秘密などという事が夢にでる私は、生涯心に傷を負って生きていることを私自身知らされるのだった。(p.100)


          ******

十月三日
[...]
いつだったか斉藤さんに人間の本能で自爆する時、自爆目標が目の前に大きく見え出すと、無意識のうちに飛行機をあげてしまふ。それでその時は飛行機をぜったいにあがらぬ様にしてしまふか、ピストルで自分の頭を射ち抜くかするんだと言ふ話を聞き、人間ってそんなものか知ら、今まで自爆なんて事を何の気なしに聞いて居たったけど、皆そんな風にして自爆してゆかれたのか。そんなにまで強い人間の本能をおさえて……と思ったら、暗い気持ちになるっていろゝと考へて居た時だったからなほ感[慨]深かった。(p.p.55-56)

          ******

 敗戦後の特攻隊員、戦死者に対する世間の評価は冷たいものだった。
 軍部にあやつられ、単純に命を捨てた愚かな若者と思われていた。思い出を口にするのもはばかられる世相となっていた。
 いまになっても、前後の見通しもつかないまま行動すると「特攻」の名を冠らされる事をもっても、いかに当時、軽侮の視線をなげられたかわかると思う。
 ご遺族はどんなにつらかったであろう。大切な肉親を無理に奪われ、その上、冷たい世論を受けなければならなかったのだ。
 私は人間としての彼等と親しくつきあった。たとえ軍人であろうと、人として豊かな情感を持っていて、それでも、それを圧殺して任務を全うした人々だったのに、その噂すら話すことも出来ない。(p.p.119-120)

         ******

 或る日「寺田さんが戦果をあげたのかどうか不明なのは残念でならない。命を捨てたのに」と遊びに来ていた青年に私がつぶやいた。
「だったら敵を大勢殺して死ねばよかったのですか」。彼に反論されて私は大変な衝撃を受け、頭をなぐられた様な思いだった。
 そうなのだ。戦果というのは相手を殺すことなのだ。人間である相手を。……
 それまで、私の頭の中は戦後三十年もすぎていても、戦争は机上の戦争と同じだったのかも知れなかった。

撃沈される船にのっているアメリカ兵も、親も子、恋人もいる人間であることに思い及ばぬ幼さというか、戦時中で、思考の止ってしまっていた人間だった。(p.135)


八牧美喜子『いのち ― 戦時下の一少女の日記』

Sunday, September 24, 2017

被災地タクシー運転手の幽霊体験

 今回の震災以後、岩手県や宮城県そして福島県でも、タクシーの運転手さんが同じような幽霊体験をしています。
道で手を挙げる人がいるので停車して載せ、行く先を聞いて走り出します。しばらくその目的地に向かって走るうちに運転手は気づきます。
「お客さん、あそこは今、瓦礫も片付いてませんし、行っても何もありませんよ」
場合によっては載せた直後、すぐに運転手が気づくこともあったようですが、「とにかく行ってくれ」というのが客の返事。仕方なく車を走らせ、目的地付近に着いて「このへんでいいですか」などと訊きつつ振り向くと、後部座席に人影がない、というのです。
 なかには後部座席が濡れていたとか、多少のバリエーションがありますが、同じような体験を相当多くのタクシー運転手さんがしているようです。


玄侑宗久『やがて死ぬけしき』


    *****

 石巻ではタクシーに幽霊を乗せた運転手の体験談が多く聞かれ、その話を収集した大学院生の論文が話題になったことがある。(p.175)

畑中章宏『21世紀の民俗学』



Monday, May 22, 2017

一心不亂

…原町市南町の東本願寺別院や浪江町幾世橋の大聖寺をしばしば訪問した[廣森達郎]中尉は、戦いのなかの死とはなにかを問い続け、悟りを得ようと努力に努力を重ねた。

[血書]
破邪絶忠
我、今、宿善の助クルニヨリ、己二受ケ難キ人身ヲ受ケタルノミアラズ、生死ノ中ノ景勝ナルベシ。
水ずくも燃ゆるも何をか悔いざらむ
君に捧げし命なりせば
[…]
吾人罪業深キ人間ナレバ之ガ中核ハ我執ニ依リ覆ワレアリ
サレド一度大悲願ニ接センカ我執ノ我ハ御民我トナリ本体ハ確然タリ
[…]
昭和十八年十月二十日 記 於別院 達郎
(注=この血書は、飛行学校所在の原町東本願寺別院の北上上人を尋ね、夜を徹して問答し、ある心境に達して、自らの指先を切って認めたものである。)(p.p.251-252)



廣森達郎 原町在住日記[昭和十八年]

十月三十一日
浪江ノ青田ノ家ニ至ル。大洋ノナガメハ各別ナリ。返シテハ寄セ、寄セテハ返ス浪、コノ現象ハ神代ヨリ続キナオ無限ニ続カン。ナンゾ瞬時ノ人生ニ迷ワン


また大聖寺にあてた手紙は次のとおり。
「…西のほうに向かって大きくうたってください。耳をすまして聞きます。私の忘れられない歌は次のものです。
 うさぎ追いし かの山 こぶな釣りしかの川 夢は今も めぐりて 忘れがたき故郷……。さようなら 廣森」(p.42)



[神中佐手記より]

…説明終わると、廣森中尉は全員を集めて話をした。
「いよいよ明朝、特攻だ。いつものようにオレについてきてほしい。次のことだけは約束しよう。こんど生まれ変わったら、そして、それがウジ虫であろうと、国を愛する心だけは失わないようにしよう」

それを聞いて私は呼吸が絶たれるような衝撃を受け、事実いてもたってもおられなくなった。私は足ばやに離れ、とめどもなく流れる感激の、否、悲しみの涙をどうすることもできなかった。・・・[廣森中尉出撃の]二十七日早朝、牛島軍司令官を案内して首里山上に立った。
・・薄明のあの短い時間を利用しての突撃である。三機、また三機、そして三機が次々に首里山上を過ぎていく。いままで眠っていたように遊弋していた敵艦が慌てて動き出した。が、もはや間に合わない。ハヤブサのように降下する飛行機は吸い込まれるように次々に艦艇に命中する・・牛島司令官は、つと振り向いて「中央へ電文の起案を」 ― そして頭を垂れて目をつぶった。(p.p.41-42)


『嗚呼 原町陸軍飛行場』

Monday, May 15, 2017

倶會一處(倶に一処に会ふ)

福島県相馬郡原町本町一丁目 
松永ノ皆様

・・・魚本の連中[※原町の料亭の常連]は昨日此の地を元気よく南に飛び去っていきました[※特攻出撃のこと]。小生達も今日か明日でせう。
[・・・]
小生始めて参上してより出発迄親身に勝る御愛情をいたゞき深く深く感謝致すとゝもにお言葉にあまえていろいろご無理をいった事を深く御詫び申上げます。
[・・・]
カタ餅[※相馬名物の凍み餅]有難う御座いました。飛行中たべておいしかった事、全部たべないで一つだけ大事に持って居りますよ、原町の臭いをかぐ為に。小生は戦死したならば、伊セに帰らず、第一番に思出多き原町を訪れる事でせう。その時は足が無いからとて、おっぽりださないでくださいよ。
それから美喜ちゃん、小生の好きな音盤、白鳥をかけて下さい。遠い此の地で耳をすまして聞いて居る事でせう。


六月五日
 
西部一八九三四部隊気付特別攻撃隊
振武隊国華隊
陸軍々曹 加藤俊二
同    井上 清  拝



 私は、白鳥とパリー祭が表裏の一枚の大切なレコードを取り出した。雑音の多い古いレコードは、確かにこの白鳥の曲を耳すませて聞いている人が、遠くにいる様に感じられてならなかった。

八牧美喜子『いのち ― 戦時下の一少女の日記』


映画「トテチータ・チキチータ」予告編  

あなたには、守る人がいますか?

Friday, May 12, 2017

一期一会  自分の死を語ろう 

小山少尉は原町出発のとき次のことを書き残した。

「恋しき原町……という二編返しの文句があったが、ほんとうに原町は一度きたら去りたくない。民情豊かなる相馬 ―。比島のはてに消ゆるとも、また南海の露と消ゆるとも、忘れ得ぬ思い出第二のふるさと。相馬原町の発展を祈る。」

二〇年二月六日、フィリピンの空戦で戦死した。岡山県の出身、二十一歳だった。

『嗚呼 原町陸軍飛行場』 

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映画「トテチータ・チキチータ」パイロット版
  
トテチータって何?

この世に思いを残して亡くなった人間が、龍になって、
自分の家族とか、愛する人を空の上から見守っている —

Sunday, May 7, 2017

以心 伝心 (心を以て心を伝ふ)

 原町飛行場で訓練に明け暮れた若いパイロットたちが息抜きに訪れるのは、本町一丁目にあった松永ミルクパーラー、同二丁目の料亭魚本、栄町一丁目の料亭柳谷などがあった。
 特攻に飛び立たなければならない運命を知りながら、飛行場の人々は休みの数時間を明るく振るまい、くったくのない話に華をさかせつつ彼等は町の人々との交際をもったのであった。(p.37)

 松永牛乳店に集まるものが、“ベコヤ編隊”と自称すれば、松浦家(柳屋)に集まるものは“本家編隊”と自称した。(p.44)

 松永ミルクパーラーの美喜子さん(当時十五歳)は、原町飛行場関係者のことを、当時の日記をもとにしながら『いのち  ―  戦時下の一少女の日記』にまとめている・・・

 
一月八日

淋しい。今夜はどうしたわけか淋しくて仕方がない。にぎやかに皆で話していながらも・・・・・・。

久木元さん齊藤さんの面影、かわるがわる浮かんでくる。あゝ誰か、・・・・・・久木元さんか、斉藤さんか、寺田さんか・・・・・・

決行なされたのぢゃないだろうか。


 二十年一月八日の日記だが、実はこの日、寺田伍長(当時一九歳)は[単機、敵輸送船に突入し]リンガエン湾に散っていた。一九年八月から九月まで、少年飛行兵一三期の人々は原町で過ごした。同期二七人のうち戦死二〇人。当時、松永牛乳店はほそぼそとながら牛乳やアイスクリームの店をひらいていた。喫茶店などない田舎町である。彼ら少年[飛行兵]たちの外出日は、店は満員で椅子のあくことがなかった。寺田さんのグループもよくこられ、縁側に回って茶を飲みながら弁当をひらいたりしたこともあった……。(p.38)

『嗚呼 原町陸軍飛行場』

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一月八日の命日に[自分の日記に]この文章が書かれていた事を、私自身、三十年後まで知らなかった。この『秋燕日記』を編集中にその事に気付き、私自身とても感動した。この日の日記を何と解したらいいのか、偶然と言うべきか、少女の心が感じとったあの方の惜別の思いだろうか。

八牧美喜子『いのち ― 戦時下の一少女の日記』

Thursday, April 6, 2017

ミミズの一生、集団ストーカーの輪廻

 ミミズだって死にたくない、幸せでいたいのです。「幸せという何かがあるのだ」と必死で探しまわる・・探して、探して、探しまわって、それでも見つからないたびに、さらに執着が、悔しさが、さらにさらに強烈となる。

 ミミズにとって、生きていて何が幸せなのでしょうか。・・腐りかけた葉っぱを食べて土のなかにいるだけ。目はないし、耳はない。見える、聞こえる、という感覚はまったくなし。ただ身体の感触があるだけです。

 自分がミミズになった気分になってください。まっくらな土のなかで、自分の前にある土を口から食べてお尻から出すだけの一生ですそれなのに、ミミズはそんな自分の命がすごく立派だと思っています。死にたくはない、長生きをしたいと願っています。・・鳥たちに食べられそうになると身体を必死でくねらせて、もがいて逃げようとするのです。・・でも、いったん土の上に出されたら終わり。それでも生命なのです。死にたくはないのです。だから、どこに生まれても同じバカなことをくり返すのです。

 そして、どこに生まれたとしても、その世界で「何かいいことはないかな」と探しまわって生きるのです。私も皆さんも人間の世界に生まれて、人間の世界には何かいいことはないのかと、探して生きてきたのです。・・何かあると思っていて、でもそれが何かはわからないまま。

 わたしたち人間の立場でみれば、ミミズという奴はなんてつまらない生命だろうか、と思うかもしれません。しかし私たちの命も、人間より上の次元、天界の神々などから見ると同じことです。なぜ人間という生き物はそんなに欲ばって、臭く汚い人生を送っているのかと、向こうはこちらをバカにしているのです。

 しかし人間が道徳を守って、こころに汚い思考がなくなって、明るい善の思考がきれいに回転するようになると・・神々が人間に興味を抱いたりする。そのときは身体が臭いことは気にしない。心清らかな人からは、神々も悪臭は感じないそうです。・・帝釈天は、「人間は悪臭のする生命だけど、こころ清らかな人の香りは天界をも貫いてとどくのだ」と言ったというのです。

アルボムッレ・スマナサーラ『死後はどうなるの?』

Thursday, March 9, 2017

幕末の集団ストーカーの死

9 芹沢鴨・剣と凶行の足跡

 ある時[新選組の]芹沢は、天狗党の所行を諫めようと目論んでいた常陸国川合村の農民を一夜、裸体にして縛った後、首を刎ねたという。

 万延二年(一八六一)に[は] 下総佐原村で・・同志六名と村に入り、翌日、村役人を宿舎に呼び出して、一千両の活動資金を用意するよう求めた。
[満足する回答を待ちきれない浪士たちは]香取神宮へ参詣に出向き、社人らに暴行・・名主宅に押し寄せて家屋を破壊、通行人の頭を見境なく鉄扇で叩き付け、犬を切り殺し、通りがかった魚屋の天秤棒を取り上げ、容赦なく叩き付けたと『常野集』は伝える。


当時を知る故老は回想する。

・・佐原の町の内は往来がきれてしまって、人っこ一人通らない。・・実に暗黒世界で、地頭からは政府へ願っても今に行く、今に行くというて、一向にはかどらない。いわゆる無政府の有様であった。(一九〇七「五十年前の佐原」朝野泰蔵)
・・浪人ども短筒様の物[註:ピストル]を銘々所持候様子にあい見え、なかなかもって乱暴取り鎮め難く・・・(『常野集』)
・・芹沢という人は、まったく怖い人だったそうで、人間を斬ることなど、まるでこちとらが、芋か大根でもきる程にも思わなかった・・。(一九三〇『史外史譚剣豪秘話』)

 (芹沢は)酒を飲めば、刀を抜いて、女を追い廻す癖があって、ある日、あんまりうるさいので、酔いつぶれて寝転ぶうちに、舞妓どもが大勢して、打ち紐で大小をガンジガラメに縛り、抜けないようにして、
「こうしといたら怖いことおヘン」
と転ばしたりして居るうちに、芹沢は酔いが醒めぬまま、その刀を提げて帰る途中、同志の誰かに[粛清のため]殺されたと、聞いて角屋は赤飯炊いて大喜び、さっそく角屋から、(大阪新町の)吉田屋へ、早飛脚が立ったということを聞いて居ました。(一九三三「新町情話」)


23 新選組に斬られた人びと  公務よりも死闘を

(記録上に確認できる二十一件の殺害事件のうち)公務と判断できる事件での死亡案件は半数にも満たない。
その一方で、私怨や私闘に類する殺害者は半数以上もあった。・・・部外者への暗殺行為は決して多くない。
新選組が刃を向けたのは、何よりも内部に対してだった。(p.159)


12 斎藤一かく語りき

斎藤一の述懐を紹介したい。
・・よく昔から人を斬った者は、その亡霊に悩まされて、夜もろくろく睡眠がとれぬとか、悪運強く畳の上で往生したにしても、死に際がわるいというが、余にはそのようなことはない。
おそらく死ぬときもそうと思う。何故って余は世間でいうように、仮に多くの人を斬ったにしても、戦争で敵を敗ったも同然、私の怨恨でカスリ疵一つ、他に負わした覚えはない。これだけは威張って、大きな声で言っておいてもよいと信じている。(p.79)


伊東成郎『新選組と刀』

  今から2千6百年前、インドのある将軍が釈尊に訊ねて曰く「自分は国のために命をかけて戦ってきたのだから死後は、きっと天界へ行けると思うがいかがか」。
釈尊は「私に言わせるな」と口を閉ざされたが、再三問われ、ようやく答えて曰く「汝は特別な地獄へ赴くだろう」。
人殺しに加わったのだから死後の責苦は免れないのだろうが、「特別な」地獄というのは、ただの地獄とどう違うのだろうか。
 軍人同士の戦いは敵もまた武器を持って自分を殺しに来るのであり、お互い正々堂々、対等な戦いである。
何よりも軍人は同胞を守るため勇敢にも自らの命をなげうつ覚悟なのだから、死後に赴くのは、まさしく阿修羅のような神々と紙一重の修羅道のようなところなのであろう。また日頃行いの正しい人が敵を殺すことなく、やられたならばそれほど悪くはないところに時を経ず生まれかわることもできるだろう。世界中の人々が目を見張った戦後日本人社会の奇跡的な復興と目覚ましい発展は、この生まれ変わりの人たちが支えてきたのかもしれない。


 一方、釈尊は「手向かうことなく罪咎のない人に害を加えるならば・・身やぶれてのち地獄に生まれる(『ダンマパッダ』)」と無抵抗な相手を一方的に害する場合は「ただの地獄」に堕ちるとも教示されている。
 つまり自己犠牲を厭わず修羅の如く死地に赴く武士や軍人とは正反対に、己の性欲、金欲、権力欲のため罪なき人を、たとえ同胞でも殺す犯罪者、あるいは己さえよければ同胞がいくら殺されようがどうでもいいと、被害者を見殺しにすることで犯罪者に媚び諂う卑怯者の死後は、やはりただの悲惨な地獄というわけだ。
 上掲の斎藤一は自分がそのような卑怯者ではなく、稀有な例外だったことを殊更に強調しているが、これは新選組の多くは「ただの地獄」に堕ちる、ただの反社会性人格障害者だったことを逆説的に物語っている。


 さて21世紀の現代、日本国内で無抵抗の罪なき人々に対し陰に陽に横暴を極め、一人を相手に大勢で協力して拷問し自殺させたり、人為的な災害、事故、病気などで殺す卑怯者といえば、言うまでもなく集団ストーカーどもであるが、中でも最も臆病で卑劣な集団の代名詞といえば、俗に広域指定暴力団「桜田組」と揶揄されている警察犯罪者の集団だろう。もっとも正統な暴力団構成員なら堅気には手を出さないし己の為した行為について「そんなことはしていない」などと嘘を吐いて否定するような卑怯な真似はしないだろうから、警察犯罪者を暴力団に譬えるのは、暴力団の方々に失礼ではある。しかし暴力団について世間一般の持つ悪辣なイメージは実は警察犯罪者がやっていることだったのだというわけで、ご勘弁願いたい。
 参考までに警察犯罪者らが標的にしているのはどういう対象が多いか見てみよう。
 貴方をアパートの一室に連れて行った、その担当者が、最初に貴方を強姦した犯人です。
貴方を強姦しておいて、さらにその捜査を自分で担当しているのです。公安が催眠強姦をする目的は 、貴方を利用する為です。就寝中の強姦被害から、公安の協力者になり活動に参加するようになった女性は、大勢の男と肉体関係を結ばされた後、口封じの為、殺されてしまった人が少なくありません。
貴方に普通の常識と思考力があれば、やがて「強姦犯人は、この警察官たちだ」という事に気付きます。 
その時が危険です。さらに、協力者として公安の活動に参加した場合、公安の色々な秘密を知る事になります。行く度に絶対に口外しない約束をさせられますが、その場合、貴方は秘密を漏らさないか、常に公安に監視されます。『●ストーカーの正体は警視庁公安部● 』http://cointelpromkultra.blog.fc2.com/blog-entry-52.html) 
 殺されたのはすべて女性、これまでに少なくとも22人が殺害された。『っ警視庁公安部上尾分室』http://uni.2ch.net/test/read.cgi/police/1287338396/

・・・アウトローたちは「自分たちのしていることは悪い」と自覚している。だが最近の警察はやくざもびっくりするようなことをしていながら「正義」をふりかざしている。

盗聴や監視は庶民に対して行なわれるだけではない。シャブをやっているチンピラの逮捕よりも警察官僚が大事にしているのは、「身内の情報」である。

  敵対派閥の動向を知るためには、盗聴が手っ取り早い。
一九九九年の盗聴法の成立にはそうした背景もあった。
(p.93) 『警察官の犯罪白書』 宮崎学


[在職中に、組織の不正を改善するよう何度も具申してきた]私は3回もあらぬ疑いで「特別視察対象者」に指定されました。これになると、3ヶ月にわたり、監察から尾行や張り込みなどの監視を受けます。精神的に耐えられず、辞職したり、自殺したりする警察官もいます。
 かくいう私も、2回目に「特別視察対象者」に指定されたとき、監察から長時間の取調べを受け、血尿が出て、精神的にも体力的にも限界となりました。妻と心中しようとしましたが、彼女が「悪い警察の思うツボ」と言うので、思いとどまったんです。(p.p.86-87)
飛松五男『なぜ警察官の犯罪がなくならないのか』


 新選組と桜田組。歴史は繰り返すというが、どちらもにしても、まもなく滅びゆく権力者にすがりつき、私利私欲で人殺しをやるただの犯罪者がほとんど。
畢竟「死に際が悪そうな」点はなんともおどろくほどに酷似している。もしや、すでに殺された犠牲者の亡霊に夜な夜なうなされている警察犯罪者も実は多いのではなかろうか。