Saturday, April 15, 2023

大門正幸 『生まれ変わりを科学する』

 1950年7月生まれのダニオン・プリンクリー。25歳の時、落雷で実質的に死亡した時の体験です。

…ベトナム戦争のとき、カンボジアのジャングルに潜む北ベトナム軍の大佐を狙撃して頭を吹き飛ばした場面で大佐が感じた、頭が吹き飛ばされた時の混乱や二度と家には帰れないと気づいた時の苦痛、そして、家族の悲痛な気持ちを感じました。

…面白半分に誰かを傷つけた場面を思い出すのは、何より辛いことでした。

また、人生にとって一番大切なのは、人にどれだけ愛情を与えてきたか、人からどれだけ愛情を受け取ってきたか、であり、自分自身の人生は非常に情けないものであったと深く恥じ入りました。



臨死体験後、奇跡的に回復を遂げたブリンクリーは、生き方を大きく変え、ホスピスでボランティア活動を行うなど、愛ある行為に重きを置いた人生を送るようになりました。

そして1988年5月、ブリンクリーは手の傷からブドウ球菌に感染し、最初の臨死体験で弱っていた心臓が損傷を受け、瀕死の状態に陥りました。この時、2回目の臨死体験が始まりました。

人生回顧の前半は1回目と同じで、25年間の出来事を身を切られる思いで追体験しました。しかし、後半の14年間の回顧は、自分の愛ある行いによって心が満たされた人たちの喜び・安堵・幸福感を自分の気持ちのように追体験しました。

この時の気持ちをブリンクリーは「善行が花火のようにはなばなしく打ち上げられていた。それは、まるでアメリカ独立記念日の花火大会のような気分だった」と語っています。


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深い瞑想に入って己と言う概念が消える時、自他を等しく観る意識を感じるじゃろう。

 他人に行った事を、己に行ったことと観て、平等に扱う平等性智がそこにあるのじゃ。

 それは他人を苦しめたのならば、自らをその分苦しめるように体を動かすのじゃ。

 誰も己の心を騙すことが出来ない故に、それは善悪の行いをくまなく平等に観ることができるのじゃ

鬼和尚:2011/06/01

Thursday, May 13, 2021

死生観が崩壊した亡者が逝く

 今の団塊世代あたりは、一番死生観が崩壊している。面白い統計(統計数理研究所の「日本人の国民性調査」)があって、一九五八年と二〇〇八年に、おなじ項目で死生観調査をやっているんですよ。それを見ると、あの世を信じるかっていう問いかけと、信仰を持っているか、実は一番低いのが一九五八年の二〇代、つまり今の団塊世代です。あの世を信じるのも十数%しかいないし、宗教を信じるというのも十数%しかいなくて、その当時の七〇代が宗教性もあの世思想も両方偏りを持っているのね。

ところで、二〇〇八年に、もう一度同じ質問をしてみると、20代のあの世があると思っている率が、四九%に一挙に上がるんですよ。…いくつかの大学で緩和ケアの講義をしたときに、二〇代の若者の声が聴ける貴重な機会と思って、「あの世あると思う人は手を挙げて」って尋ねてみた。受講する学生や所属学部の理系度と受験の難易度に、宗教性は反比例するようなんだ。自分がまわった中では、旧帝大の医学部が一番低い。(p.p.146-147) 

岡部健「暗闇に下りていく道しるべ」がケアには必要だ

『ケアとしての宗教』所収

Sunday, March 28, 2021

「今だけカネだけ自分だけ」集団ストーカーの孤独死

 私がこれまで看取ってきた中で特に顕著だったのが、都会の大会社などに勤め、いつもビルの中でデスクワークをしているビジネスマンたちです。彼らは日々、自然を相手に仕事をすることがありません。土や泥にまみれて働くということがありません。彼らは、とかく「死んだらすべてが終わって、自分の存在すらなくなってしまう」と思い込み、生に強く執着する人が少なくありませんでした。

そういう人たちは、科学的に証明されることこそが真実であり、科学の知識で解決できないものは敬遠します。死の恐怖をやわらげてくれる可能性があるはずの「お迎え」現象も、「そんなもの信じられるか」という否定的な感じでした。

こうなると、最期が近づき、「お迎え」があったとしても、それを受け取れずに終わってしまいます。そして、先祖も誰もいない場所で、ひとりぼっちで孤独と向き合い、死の恐怖と闘いながら死んでいくのです。(p.167)


奥野滋子『「お迎え」されて人は逝く 終末期医療と看取りのいま』

Saturday, May 2, 2020

伝統ハ 心中ニ躍動セシメテ 力ヲ発揮


遺書
伝統ハ神秘ニシテ偉大ナリ。而シテ之レハ吾人ノ心ノ中ニアリ。伝統ソノモノハ何ラノ力ヲ有スルナシ、吾人ノ心中ニ躍動セシメテ初メテ驚クベキ力ヲ発揮ス。廉恥ナキ者ニ伝統ハ無価値ナリ。
陸士五十六期 白井又祐
 『あかねぐも第一集=原町飛行場関係戦没者の記録=』(p.96)

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【参考】
265 : 避難民のマジレスさん :2020/05/01(金) 19:41:22 ID:h5P9mv0k0
日本の原風景や文化を守ることは大事なことなんですか?
全てが移り変わるのが世の定めなら、守るべきものは何もないような気もします。

悪い行いではないと感じますが、移り変わりゆくものに多大な労力と時間を割くのもどうかなと思います。
文化や風景が変わらない、と言うのは本来ならあり得ないことですよね。

伝統の「形」にこだわって、それを守り維持し続ければ、いずれその想いや魂は復活するんでしょうか?
滅びるものは何をしても滅びる運命なんでしょうか。

266 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2020/05/01(金) 22:04:24 ID:1d4drIFg0

>>265 それによって人が自分を知ることができるならば大事なのじゃ。
 そうでなければ大事ではないのじゃ。
 ただの観念遊戯にもなるのじゃ。
 
 何も復活はしないのじゃ。
 もはや何のためにやっているのかもわからない伝統もあるからのう。
 全てのものは滅びるのじゃ。
 生きている間に自分を少しでも知ることだけが大事なのじゃ。

Sunday, April 12, 2020

集団ストーカーの前世はアズマヤドリか

アオアズマヤドリのオスは、メスの気を引くために不思議なU時形の建造物を作る。何百本もの細い枝を集めてきて、まるで籠でも編むかのようにびっしりと組み上げて行くのである。…残念ながらこれはディスプレイ専用である。彼らの本当の巣は樹上にあり、従ってこの建造物は庭園などに立てられた小粋な小屋、即ち東屋に相当する。
[・・・]
ところが、…ライバルのオスが隙を窺ってはやって来て、東屋を壊し、ついでに大事なコレクションを盗んでいったりするのである。
アメリカのG・ボージアは、アオアズマヤドリのこの“犯罪行為”について詳しく調査した。…それによると、東屋壊しの犯人はたいてい最も近くにすんでいる者である。“犯人”は主の留守を狙って抜き足差し足で近づいていく。あるいは近くの枝にじっと止まって主が出かけるのを待っている。全壊させることは稀で、たいていは半壊か小枝を数本抜きとるだけである。ただ、貴重な青い羽根を盗んでいくことだけはどの犯人も忘れない。当然と言うべきか、よくできた東屋ほど被害に遭いやすいこともわかった。

しかし驚いたことに、この調査によるとオスのほとんどすべてが何らかの犯罪者であるという。だから東屋めぐる犯罪模様は大混戦で、他人の東屋を壊しに行っている隙に自分の東屋が壊されてしまうとか、犯行の最中に主が帰ってきて大騒動になるというケースも珍しくない。オスはどうやら近所どうしで意地悪合戦をやっているらしい。

竹内久美子『そんなバカな!遺伝子と神について』

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【参考】

 古都に空襲がなかったのは、その文化財を保護するためにアメリカ軍が爆撃を控えていたからであり、そのことを進言した“古都の恩人”はウォーナー博士であるという、≪ウォ―ナー伝説≫は全く事実無根であった。
 米軍による爆撃によって焼失した日本の文化財は、国宝二九三件、史蹟名勝天然記念物四四件、重要美術品一四三件であり、合計四七一件もが灰になったという。
…CIEの前身は、太平洋戦争において「ラッカサン・ニュース」などで活躍した米軍の〈心理作戦課〉であった。…つまり対日心理作戦の専門部隊であった。そして、CIEの局長であるダイク准将も、《ウォーナー伝説》の創作者ヘンダーソン中佐も、共に対日心理作戦に従事した専門家だったのである。
 つまり、CCD[*民間検閲支援隊]が検閲を通して、原爆報道などアメリカの悪いイメージの流布を阻止することを任務としていたのに対して、CIEの任務は宣伝によって、日本軍国主義の批判やアメリカのよいイメージの普及をはかることにあったのである。

吉田守男『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』

Saturday, November 3, 2018

集団ストーカーが本来、受けねばならぬ罰

     You are on the wrong  side of  the bars.

[実際の絞首刑の現場]

バッター-ッン・・・・・・。
両の耳をつんざくような音が、乱暴に沈黙を切り裂いた。(三鷹事件の濡れ衣を着せられた)桜井が立っていた足元の踏み板が外れ、そのはずみで反対側の床の裏側に叩きつけられたのだ。上方の明かりとりの窓ガラスが、地震の時のようにビリビリと音をたてて震えた。

窓ガラスから下へ視線をもどすと、そこに立っていたはずの桜井の姿は、もうなかった。再び静まりかえった部屋で、天井からぶらさがった一本の太い縄だけが、ギッシギッシギッシ、不気味な音をたてて揺れていた。小さな円を描きながら小刻みに震え、時おり大きくブルブルッと揺れる絞縄の動きは、その場にいる全員に否応なく、地下に吊り下げられた人間の断末魔を想像させた。p.196

[処刑に立ち会う渡邉教誨師]

自分の目の前をロープが、ビーンッと伸びて、落ちていった体がグッ、グッ、グッとなるのをね、こうやって上から見るんです。
 ロープがね、あのロープがね、重さによって一本か二本、細いのがピシッピシッピシッと切れることがあるんです、体の重さでね。
・・・・失敗したからと言って助かりっこない、首が切れますから。p.p.201-202

・・・・何かあるとすぐに死刑、死刑と言うけどね、それを実際にやらされている者のことを、ちっと考えてほしいよ。p.203 (渡邉)

堀川恵子『教誨師

Monday, September 3, 2018

Samsara of the COINTELPRO perps

You should know that the more blessings you enjoy, the greater the evil karma you are likely to create, making it difficult to avoid the path of hells, hungry ghosts and animality in the third lifetime. (p.115)

Footnote: In the first lifetime, the practitioner engages in mundane good deeds which bring ephemeral worldly blessings (wealth, power, authority, etc.) in the second lifetime. Since power tends to corrupt, he is likely to create evil karma, resulting in retribution in the third lifetime. Thus, good deeds in the first lifetime are potential "enemies" of the third lifetime. (p. 119)

Master Yin Kuang, "Pure-Land Zen Zen Pure-Land