1950年7月生まれのダニオン・プリンクリー。25歳の時、落雷で実質的に死亡した時の体験です。
…ベトナム戦争のとき、カンボジアのジャングルに潜む北ベトナム軍の大佐を狙撃して頭を吹き飛ばした場面で大佐が感じた、頭が吹き飛ばされた時の混乱や二度と家には帰れないと気づいた時の苦痛、そして、家族の悲痛な気持ちを感じました。
…面白半分に誰かを傷つけた場面を思い出すのは、何より辛いことでした。
また、人生にとって一番大切なのは、人にどれだけ愛情を与えてきたか、人からどれだけ愛情を受け取ってきたか、であり、自分自身の人生は非常に情けないものであったと深く恥じ入りました。
臨死体験後、奇跡的に回復を遂げたブリンクリーは、生き方を大きく変え、ホスピスでボランティア活動を行うなど、愛ある行為に重きを置いた人生を送るようになりました。
そして1988年5月、ブリンクリーは手の傷からブドウ球菌に感染し、最初の臨死体験で弱っていた心臓が損傷を受け、瀕死の状態に陥りました。この時、2回目の臨死体験が始まりました。
人生回顧の前半は1回目と同じで、25年間の出来事を身を切られる思いで追体験しました。しかし、後半の14年間の回顧は、自分の愛ある行いによって心が満たされた人たちの喜び・安堵・幸福感を自分の気持ちのように追体験しました。
この時の気持ちをブリンクリーは「善行が花火のようにはなばなしく打ち上げられていた。それは、まるでアメリカ独立記念日の花火大会のような気分だった」と語っています。
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深い瞑想に入って己と言う概念が消える時、自他を等しく観る意識を感じるじゃろう。
他人に行った事を、己に行ったことと観て、平等に扱う平等性智がそこにあるのじゃ。
それは他人を苦しめたのならば、自らをその分苦しめるように体を動かすのじゃ。
誰も己の心を騙すことが出来ない故に、それは善悪の行いをくまなく平等に観ることができるのじゃ
鬼和尚:2011/06/01