Sunday, March 28, 2021

「今だけカネだけ自分だけ」集団ストーカーの孤独死

 私がこれまで看取ってきた中で特に顕著だったのが、都会の大会社などに勤め、いつもビルの中でデスクワークをしているビジネスマンたちです。彼らは日々、自然を相手に仕事をすることがありません。土や泥にまみれて働くということがありません。彼らは、とかく「死んだらすべてが終わって、自分の存在すらなくなってしまう」と思い込み、生に強く執着する人が少なくありませんでした。

そういう人たちは、科学的に証明されることこそが真実であり、科学の知識で解決できないものは敬遠します。死の恐怖をやわらげてくれる可能性があるはずの「お迎え」現象も、「そんなもの信じられるか」という否定的な感じでした。

こうなると、最期が近づき、「お迎え」があったとしても、それを受け取れずに終わってしまいます。そして、先祖も誰もいない場所で、ひとりぼっちで孤独と向き合い、死の恐怖と闘いながら死んでいくのです。(p.167)


奥野滋子『「お迎え」されて人は逝く 終末期医療と看取りのいま』

Saturday, May 2, 2020

伝統ハ 心中ニ躍動セシメテ 力ヲ発揮


遺書
伝統ハ神秘ニシテ偉大ナリ。而シテ之レハ吾人ノ心ノ中ニアリ。伝統ソノモノハ何ラノ力ヲ有スルナシ、吾人ノ心中ニ躍動セシメテ初メテ驚クベキ力ヲ発揮ス。廉恥ナキ者ニ伝統ハ無価値ナリ。
陸士五十六期 白井又祐
 『あかねぐも第一集=原町飛行場関係戦没者の記録=』(p.96)

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【参考】
265 : 避難民のマジレスさん :2020/05/01(金) 19:41:22 ID:h5P9mv0k0
日本の原風景や文化を守ることは大事なことなんですか?
全てが移り変わるのが世の定めなら、守るべきものは何もないような気もします。

悪い行いではないと感じますが、移り変わりゆくものに多大な労力と時間を割くのもどうかなと思います。
文化や風景が変わらない、と言うのは本来ならあり得ないことですよね。

伝統の「形」にこだわって、それを守り維持し続ければ、いずれその想いや魂は復活するんでしょうか?
滅びるものは何をしても滅びる運命なんでしょうか。

266 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2020/05/01(金) 22:04:24 ID:1d4drIFg0

>>265 それによって人が自分を知ることができるならば大事なのじゃ。
 そうでなければ大事ではないのじゃ。
 ただの観念遊戯にもなるのじゃ。
 
 何も復活はしないのじゃ。
 もはや何のためにやっているのかもわからない伝統もあるからのう。
 全てのものは滅びるのじゃ。
 生きている間に自分を少しでも知ることだけが大事なのじゃ。

Sunday, April 12, 2020

集団ストーカーの前世はアズマヤドリか

アオアズマヤドリのオスは、メスの気を引くために不思議なU時形の建造物を作る。何百本もの細い枝を集めてきて、まるで籠でも編むかのようにびっしりと組み上げて行くのである。…残念ながらこれはディスプレイ専用である。彼らの本当の巣は樹上にあり、従ってこの建造物は庭園などに立てられた小粋な小屋、即ち東屋に相当する。
[・・・]
ところが、…ライバルのオスが隙を窺ってはやって来て、東屋を壊し、ついでに大事なコレクションを盗んでいったりするのである。
アメリカのG・ボージアは、アオアズマヤドリのこの“犯罪行為”について詳しく調査した。…それによると、東屋壊しの犯人はたいてい最も近くにすんでいる者である。“犯人”は主の留守を狙って抜き足差し足で近づいていく。あるいは近くの枝にじっと止まって主が出かけるのを待っている。全壊させることは稀で、たいていは半壊か小枝を数本抜きとるだけである。ただ、貴重な青い羽根を盗んでいくことだけはどの犯人も忘れない。当然と言うべきか、よくできた東屋ほど被害に遭いやすいこともわかった。

しかし驚いたことに、この調査によるとオスのほとんどすべてが何らかの犯罪者であるという。だから東屋めぐる犯罪模様は大混戦で、他人の東屋を壊しに行っている隙に自分の東屋が壊されてしまうとか、犯行の最中に主が帰ってきて大騒動になるというケースも珍しくない。オスはどうやら近所どうしで意地悪合戦をやっているらしい。

竹内久美子『そんなバカな!遺伝子と神について』

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【参考】

 古都に空襲がなかったのは、その文化財を保護するためにアメリカ軍が爆撃を控えていたからであり、そのことを進言した“古都の恩人”はウォーナー博士であるという、≪ウォ―ナー伝説≫は全く事実無根であった。
 米軍による爆撃によって焼失した日本の文化財は、国宝二九三件、史蹟名勝天然記念物四四件、重要美術品一四三件であり、合計四七一件もが灰になったという。
…CIEの前身は、太平洋戦争において「ラッカサン・ニュース」などで活躍した米軍の〈心理作戦課〉であった。…つまり対日心理作戦の専門部隊であった。そして、CIEの局長であるダイク准将も、《ウォーナー伝説》の創作者ヘンダーソン中佐も、共に対日心理作戦に従事した専門家だったのである。
 つまり、CCD[*民間検閲支援隊]が検閲を通して、原爆報道などアメリカの悪いイメージの流布を阻止することを任務としていたのに対して、CIEの任務は宣伝によって、日本軍国主義の批判やアメリカのよいイメージの普及をはかることにあったのである。

吉田守男『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』

Saturday, November 3, 2018

集団ストーカーが本来、受けねばならぬ罰

     You are on the wrong  side of  the bars.

[実際の絞首刑の現場]

バッター-ッン・・・・・・。
両の耳をつんざくような音が、乱暴に沈黙を切り裂いた。(三鷹事件の濡れ衣を着せられた)桜井が立っていた足元の踏み板が外れ、そのはずみで反対側の床の裏側に叩きつけられたのだ。上方の明かりとりの窓ガラスが、地震の時のようにビリビリと音をたてて震えた。

窓ガラスから下へ視線をもどすと、そこに立っていたはずの桜井の姿は、もうなかった。再び静まりかえった部屋で、天井からぶらさがった一本の太い縄だけが、ギッシギッシギッシ、不気味な音をたてて揺れていた。小さな円を描きながら小刻みに震え、時おり大きくブルブルッと揺れる絞縄の動きは、その場にいる全員に否応なく、地下に吊り下げられた人間の断末魔を想像させた。p.196

[処刑に立ち会う渡邉教誨師]

自分の目の前をロープが、ビーンッと伸びて、落ちていった体がグッ、グッ、グッとなるのをね、こうやって上から見るんです。
 ロープがね、あのロープがね、重さによって一本か二本、細いのがピシッピシッピシッと切れることがあるんです、体の重さでね。
・・・・失敗したからと言って助かりっこない、首が切れますから。p.p.201-202

・・・・何かあるとすぐに死刑、死刑と言うけどね、それを実際にやらされている者のことを、ちっと考えてほしいよ。p.203 (渡邉)

堀川恵子『教誨師

Monday, September 3, 2018

Samsara of the COINTELPRO perps

You should know that the more blessings you enjoy, the greater the evil karma you are likely to create, making it difficult to avoid the path of hells, hungry ghosts and animality in the third lifetime. (p.115)

Footnote: In the first lifetime, the practitioner engages in mundane good deeds which bring ephemeral worldly blessings (wealth, power, authority, etc.) in the second lifetime. Since power tends to corrupt, he is likely to create evil karma, resulting in retribution in the third lifetime. Thus, good deeds in the first lifetime are potential "enemies" of the third lifetime. (p. 119)

Master Yin Kuang, "Pure-Land Zen Zen Pure-Land

Sunday, April 22, 2018

死を目前にして、もう一度だけ

ソ連兵の家族写真

 武装解除した九一師団は、ソ連軍の許可を得て戦場整理を始めた。戦場整理とは戦場に残る遺体を回収して葬ることを指す。…近くの草むらを見渡すと、一体の遺体が横たわっているのに気がついた。軍服からソ連兵に間違いなかった。
「あれっ。ロスケが死んでいやがる。この野郎、攻めてきやがって」
小田らは悪態をつきながらさっそく近づいた。…ソ連兵は四嶺山の方を向いて右半身を下にして倒れ、左手を伸ばして、その手の先には何かを握っていた。…
「この野郎。何を持っていやがる」
小田が手を伸ばして確かめると、それは黒い手帳だった。小田の指先が触れた拍子に手帳が地面に落ちて、手の中には一枚の写真だけが残った。小田が手にしてよく見ると家族写真だった。
 海軍士官の軍服姿の男が右に立っていた。死んだ本人だった。左端にはマリア様のような美しいロシア人女性がつつましい笑顔を浮かべて並び、真ん中には四歳ぐらいの男の子がいた。…小田は、女性は妻で家族写真に違いないと確信した。
…そこにはある家族の幸せな暮らしがあった。
この写真を見たとき、小田は雷に打たれたような衝撃を感じた。
「こんな美しい奥さんとかわいい子供を残して、この男はなぜ死ななければならないのか。とっくに戦争は終わっているはずなのに」
小田の目に涙がにじんだ。…このソ連軍将校は死を目前にして、もう一度だけ妻や子供の姿を見たいと胸ポケットの手帳を取り出そうとしたのではないか。…小田は手帳と財布を将校の軍服の内ポケットに納めて、胸のボタンを締めてやった。もう二度と大切な宝物を落とさないようにと。


相原秀起『一九四五 占守島の真実』

Saturday, September 30, 2017

Mindfulness on your deathbed

Such a disinterested enjoyment of nature as shown by Shingen and Kenshin even in the midst of warlike activities, is known as furyu, and those without this feeling of furyu are classed among the most uncultured in Japan.  The feeling is not merely aesthetical, it has also a religious significance. It is perhaps the same mental attitude that has created the custom among cultured Japanese of writing a verse in either Japanese or Chinese at the moment of death. The verse is known as the “partig-with-life verse.” The Japanese have been taught and trained to be able to find a moment’s leisure to detach themselves from the intensest excitements in which they may happen to be placed. Death is the most serious affair absorbing all one’s attention but the cultured Japanese think they ought to be able to transcend it and view it objectively.

D.T. Suzuki, "Zen and The Japanese Culture"

[有名な故事「敵に塩を送る」など]戦の真最中に、信玄や謙信が示した、かかる利害を超越した「自然」の享楽は「風流」と呼ばれている。この風流の感情なきものは、日本では最も教養のないもののなかに入れられている。この感情は単に美的のみならず宗教的な意義をもっている。諸芸に通じた教養ある日本人の間に、臨終に際して詩歌をかく習慣を創始したのも、おそらくは同じ心的態度にもとづく。かかる詩歌は「辞世の詩や歌」として知られている。日本人は自分たちが最も激しい興奮の状に置かれることがあっても、そこから自己を引離す一瞬の余裕を見つけるように教えられ、また、鍛練されてきた。死は一切の注意力を集注させる最も厳粛な出来事であるが、教養ある日本人はそれを超越して、客観的に視なければならぬと考えている。
(p.93)


鈴木大拙『禅と日本文化』