人の世の苦しみに泣いたおかげで
人の世の楽しみにも心から笑える
打たれて踏まれて唇を噛んだおかげで
生まれてきたことの尊さがしみじみ分る
醜い世の中に思わず立ちあぐんでも
見てごらん ほら あんなに青い空を
みんなが何も持ってないと人が嘲っても
みんな知っている、もっと美しい本当に美しい尊いものを
愛とまことと太陽に時々雨さえあれば
あとはそんなにほしくない
丈夫なからだとほんの少しのパンがあれば
上機嫌でニコニコ歩きたい
それから力いっぱい働こう
そうして決して不平は云わずに
何時も相手の身になって物事を考えよう
いつもつらくても決してひるまずに
どこかに不幸な人がいたら
どんなことでも力になってあげよう
もしすっかり自分を忘れてして上げられたら
もうそれできっと嬉しくてたまらないだろう
朝 お日様が昇るときは
あいさつに今日もやりますと叫びたい
夕べ お日様が沈むときは
夕焼け空をじっと見つめて座っていたい
心にいつもささやかな夢をいだいて
小鳥のようにそっと眠り
ひまがあったらふるい詩集をひもといて
ひとり静かに思いにふけりたい
幸せは自分の力で見出そうよ
真珠のような涙と太陽のような笑いの中に
今日もまたあしたも進んでいこうよ
きっといつの日か振りかえって静かに微笑めるように
(以上、上野千里氏の遺言)
この詩を作った人は、グアム島の戦犯収容所で、絞首刑になって死んだ上野千里という人である。元海軍軍医中佐で、四十歳で刑死した。落下傘で降下した米軍操縦士の傷を手術中に「殺せ」という命令を受けたかれは、これを拒否してなおも手術を続行している最中に爆撃を受け、一時退避して再び取って返したとき、その米兵は何者かに刺殺されていた。その責任を問われ、絞首刑となったのである。
かれは無実であった。上官の罪を背負い、部下の罪を引っ被って刑死したのである。(p.229)
紀野一義 『維摩経』
遺書
「之でよし百萬年の仮寝かな」
「すがすがし暴風の後月清し」
人の世の楽しみにも心から笑える
打たれて踏まれて唇を噛んだおかげで
生まれてきたことの尊さがしみじみ分る
醜い世の中に思わず立ちあぐんでも
見てごらん ほら あんなに青い空を
みんなが何も持ってないと人が嘲っても
みんな知っている、もっと美しい本当に美しい尊いものを
愛とまことと太陽に時々雨さえあれば
あとはそんなにほしくない
丈夫なからだとほんの少しのパンがあれば
上機嫌でニコニコ歩きたい
それから力いっぱい働こう
そうして決して不平は云わずに
何時も相手の身になって物事を考えよう
いつもつらくても決してひるまずに
どこかに不幸な人がいたら
どんなことでも力になってあげよう
もしすっかり自分を忘れてして上げられたら
もうそれできっと嬉しくてたまらないだろう
朝 お日様が昇るときは
あいさつに今日もやりますと叫びたい
夕べ お日様が沈むときは
夕焼け空をじっと見つめて座っていたい
心にいつもささやかな夢をいだいて
小鳥のようにそっと眠り
ひまがあったらふるい詩集をひもといて
ひとり静かに思いにふけりたい
幸せは自分の力で見出そうよ
真珠のような涙と太陽のような笑いの中に
今日もまたあしたも進んでいこうよ
きっといつの日か振りかえって静かに微笑めるように
この詩を作った人は、グアム島の戦犯収容所で、絞首刑になって死んだ上野千里という人である。元海軍軍医中佐で、四十歳で刑死した。落下傘で降下した米軍操縦士の傷を手術中に「殺せ」という命令を受けたかれは、これを拒否してなおも手術を続行している最中に爆撃を受け、一時退避して再び取って返したとき、その米兵は何者かに刺殺されていた。その責任を問われ、絞首刑となったのである。
かれは無実であった。上官の罪を背負い、部下の罪を引っ被って刑死したのである。(p.229)
紀野一義 『維摩経』