ミミズだって死にたくない、幸せでいたいのです。「幸せという何かがあるのだ」と必死で探しまわる・・探して、探して、探しまわって、それでも見つからないたびに、さらに執着が、悔しさが、さらにさらに強烈となる。
しかし人間が道徳を守って、こころに汚い思考がなくなって、明るい善の思考がきれいに回転するようになると・・神々が人間に興味を抱いたりする。そのときは身体が臭いことは気にしない。心清らかな人からは、神々も悪臭は感じないそうです。・・帝釈天は、「人間は悪臭のする生命だけど、こころ清らかな人の香りは天界をも貫いてとどくのだ」と言ったというのです。
アルボムッレ・スマナサーラ『死後はどうなるの?』
ミミズにとって、生きていて何が幸せなのでしょうか。・・腐りかけた葉っぱを食べて土のなかにいるだけ。目はないし、耳はない。見える、聞こえる、という感覚はまったくなし。ただ身体の感触があるだけです。
自分がミミズになった気分になってください。まっくらな土のなかで、自分の前にある土を口から食べてお尻から出すだけの一生です。それなのに、ミミズはそんな自分の命がすごく立派だと思っています。死にたくはない、長生きをしたいと願っています。・・鳥たちに食べられそうになると身体を必死でくねらせて、もがいて逃げようとするのです。・・でも、いったん土の上に出されたら終わり。それでも生命なのです。死にたくはないのです。だから、どこに生まれても同じバカなことをくり返すのです。
そして、どこに生まれたとしても、その世界で「何かいいことはないかな」と探しまわって生きるのです。私も皆さんも人間の世界に生まれて、人間の世界には何かいいことはないのかと、探して生きてきたのです。・・何かあると思っていて、でもそれが何かはわからないまま。
わたしたち人間の立場でみれば、ミミズという奴はなんてつまらない生命だろうか、と思うかもしれません。しかし私たちの命も、人間より上の次元、天界の神々などから見ると同じことです。なぜ人間という生き物はそんなに欲ばって、臭く汚い人生を送っているのかと、向こうはこちらをバカにしているのです。
アルボムッレ・スマナサーラ『死後はどうなるの?』